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建築家・中村順平資料

(H27.4.24更新)
中村順平(1887-1977)は、現在の大阪市西区江戸堀に生まれ、大阪府立天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)卒業後、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)で建築を学び、東京の曾禰中條建築事務所に勤務し、如水会館の設計を行った。また、第一次世界大戦後にパリのエコール・デ・ボザールに学び、日本人最初のフランス政府公認建築士(D.P.L.G.)となったことで知られる。帰国後は、横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)建築学科初代主任教授となり、ボザール風の建築教育を行った。実作に前橋八幡宮社殿などの建築のほか、多数の豪華客船船内装飾や建築の壁画・壁面彫刻などがあり、『建築という芸術』などの著書を残した。本コレクションは、中村順平の弟子たちの集まりである檜の会(代表:松本陽一氏)をはじめとする関係者から寄贈を受けたものである。(酒井一光)
南国の別荘

南国の別荘

大正11年(1922) 檜の会寄贈

エコール・デ・ボザールで出題された12時間エスキス課題の答案。ペン画で一部彩色が施されている。対角線上のゆるぎない構図で、左下にヨットが係留された岩場とアーチ状の開口部がみえる。目線は右上の館へと吸いよせられ、階段を上る人物の先に、二階建の白亜の別荘が描かれている。崖に張り出したヴェランダや塔屋からの眺望を想像させる、情感のこもった描写である。短い制作時間にもかかわらず、詩情に満ちた構成、バランスよく取られた余白は、風景画としても魅力的で、視るものを画中の世界へと誘う。
塔のスケッチ

塔のスケッチ

大正11年(1922) 檜の会寄贈

エコール・デ・ボザールにおける配景図演習スケッチの答案。三つの塔が適度な均衡を保って配され、ディテールの繊細な描写、筆致や陰影の表現が見事である。ボザールにおいて、学生は院外のアトリエに所属することになっており、本作品右下に記された「Jumpei Nakamura/Atelier Gromort et Expert.」は、自分のサインと所属した院外アトリエであるアトリエ・グロモール・エ・エキスペールの名称である。
第六回建築科大行進「文芸復興」衣装デザイン

第六回建築科大行進「文芸復興」衣装デザイン

昭和9年(1934) 檜の会寄贈

中村は横浜高等工業学校建築科教授を務めた。同校の記念祭で行われる建築科大行進では、衣装デザインも中村自らが手がけた。下書きをせず鉛筆で直に描き、水彩絵の具で着彩している。「オルドル一人」「ミケランジェ一人」「鼓手十数人」「騎士少クトモ数人」「小僧正六人」「大僧正一人」「中僧正五人」の記載があり、多くが正面と背面それぞれを描いている。この年は実業教育50周年にあたり、横浜高等工業学校の鈴木達治校長から「記念祭を大いにやるべし」との声があり、建築科大行進もこれに応え大盛況を博したという。
前橋八幡宮透視図

前橋八幡宮透視図

昭和29年(1954) 青木 榮氏寄贈

戦災で焼失した群馬県前橋市の前橋八幡宮の設計を依頼された際、中村が描いた外観透視図。鉄筋コンクリート造による新しい神社建築の造形に挑戦した意欲的な設計で、手前から拝殿・幣殿・本殿と続く複合社殿。画中左手にある銀杏の大木は、当時中村が住んでいた横浜に近い鶴岡八幡宮(鎌倉)の大銀杏のスケッチをもとに描いたという。67歳という年齢を感じさせない伸びやかで透明感のある描写である。実際の社殿は、拝殿のみが中村の設計(実施設計は弟子の青木榮)で建てられ、現存する。
厳正寺立面構想図

厳正寺本堂立面構想図

昭和37年(1962) 吉原 正氏寄贈

厳正寺(ごんしょうじ)は、東京都大田区にある浄土真宗寺院で、鉄筋コンクリート造の本堂と鐘楼門を中村が設計し、弟子の吉原正が実施設計を担当した。本図は、初期の立面構想図であり、実現した本堂とは異なる部分もあるが、軒先を美しく見せるための処理などには、中村のこだわりが見受けられる。作図は吉原が補助して完成させたというが、右下に「昭和三十七年十月 僕の最后と思はれる作成原図」と当時75歳の中村による記載がある。