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ペルシャ文明展-煌めく7000年の至宝-
(H25.10.3更新)
領土 年表1 年表2 出品作の出土地

I.イラン最古の都市群

イランの大半は乾燥が著しいが、それでも各地に散在する古代集落の丘の中には、新石器時代に始まるものがあり、初期の農耕・牧畜社会が営まれていたことがわかる。そこで出土する土器には、動物の姿をしたものや、ユニークな動物文様を施したものが多く、古代人の高い造形意識が見られる。イラン高原はまた鉱物資源が豊富で、それらを用いた工芸品が早くから発達した。

人類最初の文明は、今から5500年ほど前、メソポタミアで興った。そこでは灌漑農耕が発達し、農産物は豊富だったが、金銀宝石はもちろん、文明に必要な他の金属・石材・木材はほとんどなかった。それらの多くはイラン高原から、主にエラム地方経由で供給されていた。メソポタミアからの見返り品は、乾燥の著しいイランでは不足がちの農産物だった。

メソポタミア文明と表裏一体のイランの都市文明は、自前の物資はもちろん、もっと遠くの物資も供給した。アフガニスタン産の神秘的な青い貴石ラピスラズリはその象徴で、メソポタミアの神殿や貴人たちの身を飾った。イランの都市文明に見られるメソポタミアやインダス、中央アジアなどの要素は、こうした域外との物資のやり取りや人の往来の結果。

様々な時期に様々な民族が新たなものを携えてイランに到来し、この地に定着・重層した。メディア人は前1千年紀に王国を築き、それを受け継いだペルシャ人が、やがてグローバル・スタンダードとしての帝国時代を開くことになる。


I-1. ユニークな造形美-彩文土器・形象土器

イランは農耕・牧畜が古くから行われてきた地域であり、豊かな新石器文化が育まれ、多彩な彩文土器(さいもんどき)が数多く作られた。北部(テヘラン州など)では赤地に黒色で図柄を描いた土器が多く見られ、南西部(フーゼスターン州など)では鈍黄色地に黒色の図柄という、メソポタミア地域の影響を受けた土器が作られた。

青銅器時代になると、北部では無文で表面を滑らかに磨き上げた黒色あるいは灰色の磨研土器が次第に増え大半を占めるようになる。この時期から、祭祀用の土器と考えられる、様々な動物をかたどった水差し(注口土器)が多くなる。鉄器時代に入ると、北部のギーラーン州では、美しく磨かれたこぶ牛形の注口土器が多数登場し、古代イランを代表する工芸品となった。なかでも古代の墓葬地、マールリーク遺跡は、非常に多く出土したことで有名。

杯

Beaker

前4千年紀
フーゼスターン州スーサ出土
彩文土器
高-24.3 径-12.7
©National Museum of Iran

上部がわずかに開く背丈の高い円筒形の杯。鈍黄色の化粧土の上に施された茶色の彩文は、胴部中央を大きくパネル状に区切り、その中に大きく誇張された角をもつ動物(山羊?)を配している。動物の意匠をもつ彩文土器はイランの先史時代を通じて数多く製作されたが、本作品は代表例の一つとして知られる。


こぶ牛形土器

こぶ牛形土器

Vessel in the shape of a zebu

前1500-前800年
ギーラーン州マールリーク出土
磨研土器
高-19.5 長-26.0
©National Museum of Iran

ギーラーン州出土の形象土器で最も多い、こぶ牛をかたどった土器。顔の部分が容器の注口になっており、液体を入れてリュトンのように使われたのだろう。こぶ牛は肩甲骨の間にあるこぶが特徴で、南アジアからアフリカの一部に至る広い地域で飼われている。それをかたどった土器では、角やこぶが誇張される場合が多い。本作品は53基の古墓が発見されたマールリーク遺跡の18号墓から出土した、5点のこぶ牛形土器の一つ。


山羊形把手付き筒形杯

山羊形把手付き筒形杯

Beaker with a figure of a goat

前2千年紀
フーゼスターン州チョガー・ミシュ出土
瀝青
高-16.8 長-15.5
©National Museum of Iran

立ち上がった山羊をかたどった大きな把手をもつ円筒形の杯。材料の瀝青(れきせい)とは天然のアスファルトのことで、フーゼスターン州でも産出する。古来より接着剤やレンガ建築の目地(めじ)、籠や土器の防水加工など、幅広い目的に利用された。紀元前2千年紀前半の古エラム期には、装飾性に富んだ瀝青容器が数多く製作された。



I-2. 都市文明の誕生-金・銀・銅の器物

イランはメソポタミア文明へ東方の鉱産資源を運ぶルートであると同時に、様々な金属工芸の先進地帯でもあった。エラムやカッシートのようにメソポタミア文明を攻撃し、時には支配したりする勢力も登場した。エルブルズ山脈やザグロス山脈では多くの古代墓地が発見されており、そこで出土した無数の貴重な金属製品は、エラムやカッシートあるいはメディアなど、強大な勢力がイランに台頭したことを示している。

エルブルズ山脈のマールリーク遺跡(「エレクトラム製動物装飾杯」)やカラールダシュト遺跡(「黄金のライオン装飾杯」)出土の黄金の杯は古代イランの金属工芸を代表する作品である。「黄金のライオン装飾杯」のように、動物の頭部が突き出た面白い形のものが特徴で、イラン北西部のハサンルー遺跡でも同様の作品が出土している。ザグロス山脈では次のグループで紹介する「ルリスタン青銅器」と呼ばれる作品群が有名。また最近では、キャルマーキャッラ洞窟出土と伝えられる金属製品が注目されている。日本ではまだよく知られておらず、本展覧会で初めて一般に紹介される作品群である。

黄金のライオン装飾杯

黄金のライオン装飾杯

Gold cup with three lions

前1000年頃
マーザンダラーン州カラールダシュト出土

高-10.0 径-14.0 重-230.0g
©National Museum of Iran

3頭の雄ライオンの頭部が立体的に突き出た意匠をもつ金杯。太い凸帯をもつ底部、少し外湾する口縁付近それぞれに組紐文様が打ち出される。胴部にはたてがみ凛々(りり)しいライオンの体躯が繊細な毛彫りで表現され、別に作り出されたライオンの頭部は写実的で、鋲で杯に留められている。動物の頭部が突き出た金杯はギーラーン州マールリーク遺跡からも出土しているが、本作はカラールダシュトの秘宝の中でも白眉(はくび)とされている。


金製ガゼル装飾杯

金製ガゼル装飾杯

Gold beaker with gazelle's life myth

前1000年頃
ギーラーン州マールリーク出土

高-20.0 径-13.7 重-229.0g
©National Museum of Iran

胴部にガゼルの生涯を4段構成で表した金杯。最下段から、母ガゼルの乳房にすがる子ガゼル、立ち上がって生命の樹をはむ若ガゼル、ガゼルの敵である猪、猛禽(もうきん)についばまれるガゼルの死体、と4つの情景が浮彫と繊細な線刻で表現される。マールリーク遺跡からは15点にのぼる金杯が出土しているが、本作は当時の死生観や精神性をうかがうことのできる点で貴重である。



I-3. ルリスタン青銅器とアムラシュ青銅器-武器・馬具・神々の形

古代イランを代表する工芸品と言えるのが「ルリスタン青銅器」と「アムラシュ青銅器」。大多数は盗掘によって出土したため、いつの時代のものなのかわからなかった。しかし近年では、ルリスタン青銅器はベルギーなどの発掘調査によって、アムラシュ青銅器は日本の東京大学や中近東文化センターの調査・研究によって、年代がある程度は特定できるようになってきた。

特に剣や斧(おの)などの武器は、メソポタミア文明でも同様なものが出土するため、その年代をつきとめるのに有効である。また飾り板などは、メソポタミア地域やエラムからの輸入品も多いので、これらの年代も次第に明らかにされてきた。ルリスタン青銅器には奇妙な形の動物や人物像がしばしば見られ、神話的世界を表現していると思われるが、それらのモチーフの意味はまだ謎に包まれている。

スタンダード

スタンダード

Standard head

前1千年紀前期
ルリスタン州出土
青銅
高-31.6 幅-10.0
©National Museum of Iran

ルリスタン青銅器の一つで、スタンダードと呼ばれる青銅製祭祀具。スタンダード上部の形は、動物あるいは怪獣を左右対称に配置するものと、中央に人物や植物を表し、その左右に動物あるいは怪獣を対称形に配置するものの2種類に大別できる。この作品は前者で、左右の山羊は上下2つの小環で接合されている。用途は不明であるが、基部はソケット構造になっているので、儀仗(ぎじょう)の装飾と考えられる。


轡(くつわ)

轡(くつわ)

Horse bit

前1千年紀前期
ルリスタン州ハトゥンバンB出土
青銅
高-14.8 幅-25.3
©National Museum of Iran

馬具の一部。馬の口にくわえさせる銜(はみ)と左右の鏡板(頬あて)からなる。銜は有翼山羊をかたどった左右の鏡板に通され、両端が互いに反対方向に曲げられて、手綱を付ける環になっている。



I-4. 華麗に身を飾る-金・宝石・貴石の装い

イランでは華麗な装身具が数多く発見されるが、これにはいくつかの理由がある。まず、イランはメソポタミア文明やエジプト文明に対する様々な貴金属・宝石の供給源であり、それらの流通ルートが存在したこと。当時珍重された貴石ラピスラズリの産地はアフガニスタン北東部のバダクシャンにあったが、そこを東端とするイラン高原横断の交易路は、金・銀・銅・錫(すず)や瑪瑙(めのう)なども西方に運んだ。

イランは乾燥地が大半を占め、メソポタミアのような大農耕地帯はなかったが、家畜とともに移動生活を営む遊牧・移牧が発達した。彼らは、運搬可能な資産として、小さくても価値の高い貴金属・宝石・貴石の装身具類を好んだので、イランでは美しい装身具が多く生産されたのだろう。

黄金のライオン装飾腕輪

黄金のライオン装飾腕輪

Gold bracelet with lions

前800-前700年
コルデスターン州ジーヴィイェ出土

長-6.5 径-9.5 重-287.6g
©National Museum of Iran

両端にほえるライオンの頭が付いた豪華な腕輪。本体は断面三角形で中央部が太く、鋭い稜を境に対のライオンがさらに左右から向き合っている。細かく刻まれたたてがみの表現はウラルトゥの美術に通じ、金工技術の高さをうかがうことができる。


ビーズ装身具

ビーズ装身具

Necklace

前1千年紀
ギーラーン州ネスフィ出土
瑪瑙、ガラス
©National Museum of Iran



I-5. 「捺す」、「転がす」イランの印章-円筒印章とスタンプ印章

最古の印章は前6000年頃西アジアで生まれた。最初の印章はスタンプ式で、乾く前の粘土に捺して、持ち主が誰かを示すものだった。大切な品物を壺や袋に入れ、粘土で封(ふう)をする(封泥(ふうでい))。それがまだ湿っているうちに捺した印章の痕(あと)は、乾いた後、中身の保証となった。壊さなければ中の品物を取り出すことはできないし、一度壊れた封泥は、元にもどらないためだ。

前3200年頃になると、ローラー状に転がして図柄を展開する、円筒印章も考案された。その使用はメソポタミアを中心に盛行し、封泥や楔形文字の粘土板文書にも捺されたが、メソポタミアと関係が深いイランの都市スーサでも同じように多用された。これに対して、トルコやイラン東部、アフガニスタンなどの地域では、スタンプ印章の使用が存続した。青銅製のスタンプ印章もあり、ルリスタン地方などには動物形のつまみが付いた例もある。

イラン高原で独自に作られたものとして、エラム王国のファイアンス(ガラス質の焼き物)製円筒印章がある。前6世紀にイランで最初の帝国アケメネス朝が成立すると、西アジアの印章はペルシャ様式が主流となるが、それは円筒印章の最後の時代で、やがてササン朝ペルシャ時代以降になると、印章はスタンプ式と指輪型の2種になる。もはや文字を粘土板に書く時代は終わり、羊皮紙にインクで書くようになったためだ。そして現在に至るまで、スタンプ印章はずっと使われ続けている。

印章の文様や図柄は、その時代の流行を反映している。初期は技術が未発達なため、直線を多用した単純な幾何学文だったが、次第に曲線文や美しい浮彫の図柄が粘土に表せるようになった。動物の表現は豊かさを示し、神々の姿は、印章の所有者が神に認められていることアピールするものだった。動物との闘争文は自身の強さをアピールし、宴会の図は儀式や祭りを表しているのだろうか。その本当の意味を現在の我々は想像するしかない。

円筒印章:宴会の場面

円筒印章:宴会の場面

Cylinder seal

前1300年頃
フーゼスターン州スーサ出土
ファイアンス
高-4.4 径-1.3
©National Museum of Iran

楔形文字文明圏の共通語であるアッカド語として読むことができる。意味不明な文字の分割や欠落も見受けられ、文字をよく知らない職人が彫っていたことがうかがえる。銘文の内容は「生は神のもとに、救いは王のもとに(ある)。私の神よ、私は貴方を求める」。椅子に座る人物は何かを飲食しており、その前に立つ人物は手をかかげて礼拝のポーズを示している。上には菱形モチーフとうずくまる草食獣が表される。


円筒印章:宴会の場面

円筒印章:宴会の場面

Cylinder seal

前1300年頃
フーゼスターン州チョガー・ザンビール出土
ファイアンス
高-4.9 径-1.6
©National Museum of Iran

前作品とほとんど同じ内容の楔形文字の銘文がある。椅子に座る人物は右手の小壺から酒を飲んでいる。人物の前の脚付きの卓には魚が載せられ、その上には星がある。上段には角のある動物2頭が表されている。


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