プロローグ 篤姫のふるさと薩摩
桜島遠望図 柳田龍雪筆
三幅対
江戸時代末期〜明治時代初期 19世紀
紙本着色 縦78.5 横143.0cm
鹿児島・尚古集成館
篤姫と同時代の画家であり、島津
斉彬に仕えた後、文久元年(1861)に薩摩奥絵師として召し抱えられた
柳田龍雪が、
桜島や島津家の別邸もあった
霧島の
栄之尾を描いた三幅対。篤姫が持参したと伝えられる薩州桜島真景図も同じ作者である。
(展示期間:5/14-6/1)
薩摩切子 紫色
ちろり
一合
江戸時代末期〜明治時代初期 19世紀
高16.4 長径16.2cm
東京・サントリー美術館
ちろりとは酒を注ぐ容器の呼称。胴体の両側面に円形の紫色のガラスを融着させ、六角
籠目を刻んでいる。蓋、胴体の無色部分は
七宝繋文が施され、胴体に三ヶ所突出部を融着し、
錫の金具を覆せて繋ぎ合わせるという高度な技術を用いた薩摩切子の名品である。
天保6年(1835)12月19日、江戸からおよそ440里離れた薩摩藩 で、一人の女の子が誕生した。於一 、後の篤姫 (天璋院 )である。重富 (越前)家・加治木 家・垂水 家と並ぶ薩摩藩主島津家の一門 のひとつ今和泉 島津家。将軍家でいえば御三家 にあたり、薩摩藩士の最上位に位置した。本領 を安堵 された石高 72万8千石余りの西国の大藩。琉球 国を含む南北1200キロにもおよぶ長大な領地と海を守っていた。近衛家 の家司 であったことから両家の関係は深く、篤姫の婚姻にも近衛家が大きな役割を果たした。また、鎌倉・室町時代に流行した犬追物 や、鎌倉流規式故実 など伝統的な文化を守り続けた家でもあり、その一方で、幕末に海外の情報・文化をいち早く取り入れ、鋳砲 ・造船にとどまらず、産業の育成や社会基盤の整備など幅広い分野にわたる事業を展開し、日本の近代化をリードした。この集成館事業では、薩摩切子
の製造や薩摩焼の改良なども実施され、数々の美術工芸品も生まれている。篤姫の幼少期は、薩摩藩が財政改革を乗り越え、新しい時代に向けて大きく華開く時期でもあった。
篤姫の実家は、
篤姫が19歳まで過ごした薩摩藩は、関ヶ原合戦で敗退したにも関わらず
島津家は、鎌倉時代から続く名家。初代忠久が
本章では、篤姫のふるさと薩摩について概観する。篤姫を育んだ薩摩の息吹に触れていただきたい。