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NHK大河ドラマ特別展 天璋院篤姫展 展示資料関連行事特別割引
プロローグ 篤姫のふるさと薩摩
第一章 御台所への道のり
第二章 婚礼〜将軍家定と敬子〜
第三章 江戸城大奥
第四章 幕府瓦解〜徳川家存続への思い〜
エピローグ 明治の天璋院

プロローグ 篤姫のふるさと薩摩さつま

 天保6年(1835)12月19日、江戸からおよそ440里離れた薩摩藩さつまはんで、一人の女の子が誕生した。於一おかつ、後の篤姫あつひめ天璋院てんしょういん)である。
 篤姫の実家は、重富しげとみ(越前)家・加治木かじき家・垂水たるみず家と並ぶ薩摩藩主島津家の一門いちもんのひとつ今和泉いまいずみ島津家。将軍家でいえば御三家ごさんけにあたり、薩摩藩士の最上位に位置した。
 篤姫が19歳まで過ごした薩摩藩は、関ヶ原合戦で敗退したにも関わらず本領ほんりょう安堵あんどされた石高こくだか72万8千石余りの西国の大藩。琉球りゅうきゅう国を含む南北1200キロにもおよぶ長大な領地と海を守っていた。
 島津家は、鎌倉時代から続く名家。初代忠久が近衛家このえけ家司けいしであったことから両家の関係は深く、篤姫の婚姻にも近衛家が大きな役割を果たした。また、鎌倉・室町時代に流行した犬追物いぬおうものや、鎌倉流規式故実きしきこじつなど伝統的な文化を守り続けた家でもあり、その一方で、幕末に海外の情報・文化をいち早く取り入れ、鋳砲ちゅうほう・造船にとどまらず、産業の育成や社会基盤の整備など幅広い分野にわたる事業を展開し、日本の近代化をリードした。この集成館事業では、薩摩切子きりこ の製造や薩摩焼の改良なども実施され、数々の美術工芸品も生まれている。篤姫の幼少期は、薩摩藩が財政改革を乗り越え、新しい時代に向けて大きく華開く時期でもあった。
 本章では、篤姫のふるさと薩摩について概観する。篤姫を育んだ薩摩の息吹に触れていただきたい。

桜島遠望図 柳田龍雪筆

桜島遠望図 柳田龍雪筆
さくらじまえんぼうず やなぎだりゅうせつひつ

三幅対
江戸時代末期〜明治時代初期 19世紀
紙本着色 縦78.5 横143.0cm
鹿児島・尚古集成館

 篤姫と同時代の画家であり、島津 斉彬なりあきらに仕えた後、文久元年(1861)に薩摩奥絵師として召し抱えられた柳田やなぎだ龍雪りゅうせつが、桜島さくらじまや島津家の別邸もあった霧島きりしま栄之尾えいのおを描いた三幅対。篤姫が持参したと伝えられる薩州桜島真景図も同じ作者である。(展示期間:5/14-6/1)

薩摩切子 紫色ちろり

薩摩切子 紫色 さつまきりこ むらさきいろ ちろり

一合
江戸時代末期〜明治時代初期 19世紀
高16.4 長径16.2cm
東京・サントリー美術館

 ちろりとは酒を注ぐ容器の呼称。胴体の両側面に円形の紫色のガラスを融着させ、六角籠目かごめを刻んでいる。蓋、胴体の無色部分は七宝しっぽうつなぎもんが施され、胴体に三ヶ所突出部を融着し、すずの金具を覆せて繋ぎ合わせるという高度な技術を用いた薩摩切子の名品である。
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