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難波宮周辺出土の朝鮮半島系土器

(H26.6.25更新)

平成20年9月25日(木)~(予定)

新羅土器 瓶
新羅しらぎ土器どきへい
徳利とっくりのような形をした土器で、6世紀後半~末の新羅に類例があります。口縁部は意図的に割られていて、残りの高さは10cm強と小振りです。7世紀後半の土器といっしょに出土したことから、難波に運びこまれた後、約100年間保管されていた可能性があります。大坂城跡下層出土。
百済土器 椀
百済くだら土器どきわん
6世紀後半から7世紀初め頃の百済に類例がありますが、日本列島では唯一の例です。金属の椀を真似てつくられたもので、外面の線(櫛描直線文くしがきちょくせんもん)はその名残です。口径16cm、器高8cm。大坂城跡下層出土。
須恵器の技法で作られた素文軒平瓦(背後にあるのは須恵器甕の内面)
須恵器すえきの技法で作られた素文軒平瓦そもんのきひらかわら
(背後にあるのは須恵器甕の内面)
凹面に同心円の文様(青海波文せいかいはもん)が残る素文軒平瓦そもんのきひらかわらです。青海波文は須恵器の内面によく見られる製作道具(当て具)の痕跡ですが、このように瓦にも見られるということは、初期瓦の生産に須恵器工人が動員されたことを推測させます。なお、素文軒平瓦は四天王寺してんのうじ に類例があります。7世紀前半頃のものと推定されます。難波宮跡下層出土。

難波は古代倭王権の対外交渉の窓口として発展し、外交儀礼を行う難波大郡(なにわのおおごおり)や、朝鮮諸国や中国の使節が滞在する館(むろつみ)が存在したことが『日本書紀(にほんしょき)』に記されています。それを証するように、難波宮周辺では新羅(しらぎ)や百済(くだら)の土器(どき)が多く出土しています。これまで常設展示室では新羅印花文土器(しらぎいんかもんどき)や百済土器瓶(くだらどきへい)などの6~7世紀の朝鮮半島から運ばれた土器を展示してきました。今回さらに、近年の発掘調査の進展によって知られた、難波宮周辺出土の朝鮮半島系土器を充実させました。あわせて、須恵器の技法でつくられた初期の瓦も展示します。

フロア / 10階 コーナー / 古代難波の序章
10階フロアマップ