1. ホーム
  2. 展示・イベント
  3. 常設展示
  4. 常設展示更新
  5. 過去年度の展示更新
  6. 大阪相撲に関する資料

大阪相撲に関する資料

(H26.6.25更新)

平成21年3月25日(水)~4月6日(月)(予定)

大阪大相撲之図
大阪大相撲之図  明治25年(1892) 本館蔵
大阪相撲の取組風景を描いた珍しい錦絵。2階建ての桟敷席の上部に、「市場」、「うつほ」(靱)、「ざこは」(雑喉場)、「堂嶋浜」と記された幟が描かれている。いずれも、米市場(堂島浜)、干鰯市場(靱)、魚市場(雑喉場)など、巨大市場が存在していた場所であり、これら市場社会と大阪相撲との密接な関係を示唆する資料である。幟にある「小林若中」とは、侠客小林佐兵衛の子分たちのことであろう。
チャリネ大曲馬興行引札
チャリネ大曲馬きょくば興行引札  明治20年(1887) 本館蔵
曲馬とは、今でいうサーカスの事。チャリネというイタリア人が率いるこの曲馬団は、各地を巡業し、一世を風靡した。大阪での興行元となったのが小林佐兵衛。彼は相撲興行にも関係し、明治後期には力士出身ではないのにもかかわらず、頭取押尾川おしおがわを襲名し、大阪相撲のトップの地位である総理にまでのぼりつめた。明治前期には、このような曲馬や見世物みせものの興行元にもなっていた。
陣幕久五郎 歌川国貞画
陣幕じんまく 久五郎きゅうごろう 歌川国貞画  幕末 本館蔵
陣幕は、「負けずや」の異名を持つ幕末屈指の強豪力士。大阪相撲の朝日山部屋に入門した後、江戸相撲に移り、慶応3年(1867)に横綱免許。明治維新期に大阪相撲に復帰し、相撲頭取筆頭の地位についた。陣幕復帰後の大阪相撲は、頭取同士の対立や力士の脱走など、一時的に混乱した。
改正相撲高砂稽古場之図
改正相撲高砂 稽古場けいこば之図  明治前期 本館蔵
明治維新期に東西の相撲集団で、力士の脱走という現象が共通して見られた。東京では、高砂浦五郎を中心に高砂改正組という力士集団が脱走し、大阪相撲から脱走した熊ヶ嶽くまがたけらと共同で各地を巡業した。この錦絵は、その高砂改正組の稽古風景を描いたものである。右側で腕組みをしていすに座っている力士が、熊ヶ嶽。彼は巡業中、黄色い横綱をしめて土俵にあがったという。
松ノ音 善藏 二代長谷川貞信画
松ノ音 善藏 二代長谷川貞信画  明治前期 本館蔵
松ノ音は、明治5年(1872)7月に番付に初めて登場し、最高位は大関の強豪力士。同11年には大阪相撲から脱走した力士集団黒岩組に所属していた。明治15年5月に現役のまま死亡。このような錦絵がブロマイドとして刊行されるほど、人気力士であったらしい。
岩友 大太郎
岩友 大太郎  明治後期 本館蔵
岩友は、明治後期に大阪相撲の大関をつとめた強豪力士響矢由太郎。引退後、頭取岩友を襲名した。東瓜破ひがしうりわり村(現平野区)出身。瓜破地域は、河内でも最後まで草相撲が盛んだった地域。この錦絵には「力士鏡第四号」とあるから、シリーズで出版されたものであろう。

現在、開催されている大相撲の歴史は、江戸時代にまでさかのぼります。大阪相撲とは、この大相撲興行を支えていた相撲渡世とせい集団のことをいいます。この大阪相撲と東京相撲が昭和2年(1927)に合併して、現在の相撲協会が設立されます。このコーナーでは、大阪という地域と大阪相撲との関わりを示す資料や美しい相撲絵を中心にご紹介します。

フロア / 7階 コーナー / 上方芸能の展開
7階フロアマップ