展示・イベント


第61回 特集展示

難波遷都 なにわせんと
大化改新 たいかのかいしん がもたらした 難波 なにわ の変化−

◆ 平成21年 6月17日(水)〜8月31日(月) ◆
毎週火曜日休館(祝日の場合は翌日休)
(H21.5.2更新)

主な展示資料

百済土器瓶

(1)百済土器瓶くだらどきへい

難波宮跡出土、7世紀中頃

 花瓶のような形をした、百済くだらの典型的な土器で、前期難波宮を造営するために谷を埋めた地層から出土した。よく似たものが百済くだらの都である扶餘プヨ(当時の名称は泗沘サビ)やその近くで発見されており、7世紀中頃に位置付けられている。遷都直前に渡来した百済の使者がもたらしたものと推定される。

水晶製三輪玉

(2)水晶製三輪玉すいしょうせいみわだま

難波宮跡出土、7世紀

 いずれも前期難波宮の内裏だいり東回廊ひがしかいろうの柱穴から出土した。かつて奈良県桜井市の三輪山みわやま周辺で多く出土したことからこの名称がついた。側面から見ると3つの山形をなす水晶製の装飾品で、太刀の護拳帯ごけんたい太刀たちを握る際にこぶしを守る帯)を飾ったものと思われる。
 これらの三輪玉の出土した場所の近くでは、6世紀代の土器棺どきかん(大型の土器を組み合わせて人を埋葬した棺)が見つかっていることから、宮殿造営によって破壊された古墳の副葬品ふくそうひんであったことが考えられる。まさに、『日本書紀にほんしょき』の「(白雉はくち元年(650年)10月に)宮の地に入れむが為に、丘墓を壊られたるひと及び、遷されたる人には、物賜ふこと、各差あり」という難波遷都に係る記述を思い起こさせる。

「はるくさ」木簡(写真は赤外線写真)

(3)「はるくさ」木簡もっかん(写真は赤外線せきがいせん写真)

難波宮跡出土、7世紀中頃

 難波宮南西の谷から発見された。残存長は18cmあり、下側は欠損している。片面に「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(この文字以下、欠損)」と11 字が残っている。これは、漢字1字を1音に当てた、いわゆる万葉仮名まんようがなの一種で、「春草の始めのとし」または「春草の始めしとし」と読む可能性がもっとも高いと考えられる。「春草の」は『万葉集まんようしゅう』では枕詞まくらことばとして使われており、五音・七音を重ねた和歌ではないかと考えられている。発見された地層の時期から、難波遷都の頃に詠まれた和歌の可能性がある。万葉仮名を用いた文字資料としては最古であり、日本語表記や和歌の歴史を知る上できわめて重要な資料である。
 なお、この木簡については資料の保全のため、平成21年6月17日(水)〜22日(月)と7月22日(水)〜27日(月)の期間限定で展示する予定である。

小型鴟尾と小型丸瓦

(3)小型鴟尾しびと小型丸瓦まるがわら

難波宮跡出土、7世紀後半

 いずれも前期難波宮の東方官衙とうほうかんが地域(現大阪市立中央青年センター・パル法円坂など)の発掘調査で発見されたものである。鴟尾しびとは古代の大建築の棟の両端に置かれた、鯱鉾しゃちほこの祖形となる飾りで、通常高さが120cm程度であるものの、この小型鴟尾(写真左)は復元高が17cmほどの小さなものである。表面には羽根形の文様が4段以上削り出されている。小型丸瓦は2点あり、うち右側のものは長さが4cm程度である。いずれも通常の鴟尾や丸瓦の1/7〜1/10程度であることから、法隆寺ほうりゅうじ玉虫厨子たまむしのずしのような小建築に用いられたのであろう。前期難波宮と仏教のつながりを示すものとして注目される。

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