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南木コレクション

(H26.6.24更新)

平成21年12月9日(水)~ 12月21日(月)(予定)

南木芳太郎日記
南木芳太郎日記 昭和5年(1930) 大阪市史編纂所蔵
南木芳太郎自筆の日記。大正3、7、10、昭和5~9、11~16、19の各年の日記が確認されている。『上方』の出版状況や大阪の文化人・趣味人の様子を知ることができる貴重な史料。昭和5年12月25日には、郷土雑誌『上方』創刊号の完成について、深い感慨が記されている。
趣味人寄書き
趣味人寄書き 昭和14年(1939) 大阪市史編纂所蔵
昭和14年7月4日、天王寺公園小宝亭にて開催された「上方うちわ会」での寄書き。当日南木の日記には「八時過ぎ、谷口を出て、淀屋橋より地下鉄で天王寺動物園迄で乗り、公園小宝亭へ行く。上田長・藤里・東田・芳本・梅谷、宅よりは静と富美子。小宝太田君趣向の料理で、一同が大にハシヤギ、うちわを一本づゝ配つて内輪会。梅谷が歯医者で司会(歯科医)とは、とんだ洒落なり」とある。
郷土雑誌『上方』
郷土雑誌『上方』 昭和戦前 個人蔵
昭和6年、南木芳太郎は上方郷土研究会を設立し、その機関誌として郷土研究『上方』を刊行した。以来、資金難や用紙難と闘いながら13年間151冊の雑誌を発行した。表紙の大半は上方錦絵の長谷川貞信(2世・3世)による。

大阪を代表する郷土研究家南木芳太郎なんきよしたろう。明治15年(1882)、大阪ミナミに生まれた南木は、道修町の薬種商「春元商店」に勤務する傍ら、苦学して学問を修めました。秘蔵の書籍コレクションは「南木文庫」と呼ばれ、後の大阪研究に大いに活用されました。また、彼の生涯をかけて発刊された郷土研究雑誌『上方』は今日にいたるも大阪郷土研究者のバイブルとなっています。彼の業績を展示や写真パネルを通して広くしってもらいます

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