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ミュージアムウィークス大阪2010 旬の逸品
奥田弁次郎関係資料

(H26.6.13更新)

平成22年9月15日(水)~ 11月15日(月)(予定)

奥田弁次郎像
奥田弁次郎像 明治21年(1888) 本館蔵(奥田幸治郎氏寄贈)
明治21年(1888)に制作された初代弁次郎の木像です。像底に「天保八年六月廿六日出生/奥田辨治郎像/明治廿一年十二月上旬作之/福岡県博多住仏師/刻人 山崎春吉」と刻されています。作者の山崎春吉は、のちに帝室技芸員となった山崎朝雲(1867~1954)で、彼が上京して高村光雲に師事する以前の作品です。奥田のおもかげを伝える彫像であるとともに、山崎朝雲の仏師時代の作例としても貴重な資料です。
控帳
控帳 明治28年(1895) 本館蔵(奥田幸治郎氏寄贈)
奥田方を訪れた人物の住所・氏名などを記した帳面です。初代弁次郎晩年の明治28年(1895)11月から書き起こされ、明治32年(1899)頃まで記載されたようです。明治28年の控帳には、国内外の芸人や関係業者など約1000件の人名・社名等が記されています。他の帳面とあわせると、数千件にのぼる人名等が記載されていると考えられ、奥田のネットワークの広さがうかがえる資料です。

ミナミの繁華街・千日前(大阪市中央区)は、明治維新後に開発された興行地です。明治時代に興行プロモーターとして活躍した人物が、奥田弁次郎(初代、1837~1898)です。

昨年、子孫の方の家で初代・二代弁次郎時代の資料が発見され、当館で調査したところ、明治中期から昭和初期の奥田の興行実態がうかがえる貴重な資料であることがわかりました。資料は、当館に寄贈されることになりましたので、このたび、その一部を展示します。

展示資料は、奥田弁次郎・ふみ夫妻の木像(明治時代)、奥田方を訪れた人名等を記した控帳(明治~大正時代)、外国人芸人の興行に関する帳簿(明治末期)、芸人たちの写真です。

フロア / 7階 コーナー / 都市の構造
7階フロアマップ