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大阪のシンボル

(H26.6.13更新)

平成23年2月2日(水)~ 3月28日(月)(予定)

学区廃止直後に完成した汎愛小学校(パネル展示)
学区廃止直前に完成した 汎愛はんあい小学校(パネル展示)
大正15年(1926) 本館蔵
戦前の大阪人は、自分が通った小学校やその校舎に強い誇りと愛着を持っていました。この意識は、時として極めて豪華な校舎の建設という結果をもたらすことになります。船場の富裕学区の一つであった汎愛学区では、鉄筋コンクリート造4階建てで、屋上にプールがあるという校舎を大正15年に建設しました。しかも安井武雄という著名な建築家が設計を担当しました。
大阪城天守閣竣工記念品 末広
大阪城天守閣竣工記念品 末広
昭和6年(1931) 本館蔵(池田啓子氏寄贈)
天守閣復興を含む大阪城公園整備事業の資金は市民からの寄付金によってまかなわれました。本品は、大阪市がその寄付者全7万8千余件に贈ったものです。復元の参考にされた豊臣期の天守閣が描かれています。作者は同時期の大阪画壇のリーダー的存在であった北野恒富(1880-1947)です。
建設中の大阪城天守閣(パネル展示)
建設中の大阪城天守閣(パネル展示)
昭和5年(1930) 本館蔵(永井利夫氏寄贈)
天守閣の建設現場を写した大変珍しい写真です。この工事を請け負ったのは、大阪の大手業者大林組ですが、その下請業者の一つであった蔭山組の関係者がのこした資料です。よく見ると足場の上にたくさんの人が写っています。この現場で働いた蔭山組の労働者でしょう。
第四師団司令部落成記念絵葉書
第四師団司令部落成記念絵葉書
昭和6年(1931) 本館蔵(山角旭氏寄贈)
陸軍第四師団司令部庁舎新築も大阪城公園整備事業の一環としてなされました。天守閣の建設費約47万円に対し、司令部は80万円も要しました。第四師団はそれを大阪市に負担させる代わりに、大阪城内を市民に開放しました。この絵葉書は、師団関係者のみに配布されたと考えられるものです。前庭部分が未整備段階の庁舎が写っている大変珍しい絵葉書です。機密保持の必要からか、「第四師団新庁舎」というキャプションが消されています。

大阪のシンボルとは?と聞かれて、最初に思い浮かぶのは大阪城天守閣ではないでしょうか。この天守閣、実は昭和6年(1931)に再建されたものです。では、それまで大阪のシンボル的な建物とは何だったのでしょうか?また、なぜ天守閣は再建される必要があったのでしょうか?これらの問題は、当時の大阪の社会のありよう、つまり都市の構造についての理解なしには解けない問題です。特に小学校の設置負担区であった学区制度と関わらせて理解する必要があります。今回の展示では、この問題を考える材料となる資料をいくつか展示します。

フロア / 7階 コーナー / 都市の構造
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