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明治前期に刊行された大阪の新聞

(H26.6.23更新)

平成23年3月30日(水)~ 5月30日(月)(予定)

朝日新聞 創刊号
朝日新聞 創刊号
明治12年(1879)1月25日
記念すべき朝日新聞の創刊号です。新聞タイトルの字体は、今とほとんど変わっていません。明治初期に発行された新聞には、政治や国家のあり方を論じる大新聞おおしんぶんと、市井のでき事や絵入りの小説をふりがな交じりで掲載する小新聞こしんぶんの二種類がありました。小新聞とは、大新聞より紙面の寸法が小さい(現在の新聞の約1/3)ためにつけられた呼称です。朝日新聞も小新聞として出発しました。朝日新聞は、創刊してすぐに多くの読者を獲得し、創刊から4年後の明治16年には、早くも1日の発行部数(約2万部)日本一を達成します。
此花新聞 1198号
此花このはな新聞 1198号
明治18年(1885)10月3日
朝日新聞のライバル紙です。明治15年1月に創刊されたときは、新聞として出発しましたが、同18年2月に社告で「純然たる中新聞」の確立を宣言してからは、報道本位の立場から紙面改良を図りました。「英語案内」欄を設け、初級英語教育の普及を計るなどの新機軸を打ち出しますが、『朝日新聞』には勝てず、この号の約3週間後に廃刊しました。新聞タイトルの背景に、大阪市中の風景が描かれているところがユニークです。
東雲新聞 創刊号
東雲しののめ新聞 創刊号
明治21年(1888)1月15日
明治中期に大阪で人気を博した新聞です。高知出身で大阪在住の自由党系の人々が中心となって創刊されました。主筆は中江兆民なかえちょうみん篤介とくすけ)。兆民が生涯でもっとも力を注いだ新聞といわれています。創刊号でも一面に「本紙発刊の詞」という文章を書いています。一日平均の発行部数は、明治22年の最盛期で三万部を越えましたが、兆民が東京に移る23年以降は半減しました。終刊は24年10月頃、1100号前後と推定されています。
大阪上町新聞 212号
大阪上町うえまち新聞 212号
大正2年(1913)10月18日
明治40年4月に創刊された上町地域のローカル紙です。おそらく全国でも当館にしか所蔵されていない新聞です。毎月3号刊行、4面構成という紙面でした。主として旧東区(現中央区)内の様々な地域情報を記事にしています。今号の発行が、 誓文払せいもんばらいの大安売りの時期にあたるため、区内商店による大安売りの記事や広告が多くみられます。

歴史的にみると、大阪は、朝日・毎日という二大新聞が誕生するほど、新聞発行が盛んな地域でした。特に戦前の新聞社は、単に新聞というメディアを発行するだけでなく、社会事業やスポーツ、航空事業など様々な事業を展開し、大阪市政にも大きな影響力を持っていました。今回の展示では、新聞草創期である明治前期に大阪で刊行された代表的な新聞の創刊号を中心にご紹介します。なかには当館にしか所蔵されていない希少な新聞もあります。ぜひ、お見逃しなく。

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