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新淀川100年 水都大阪と淀川
(H25.9.26更新)

主な展示資料

摂河淀川・大和川流域崩所図

摂河淀川・大和川流域崩所図

江戸時代・正徳5年(1715)
本館蔵

江戸時代初期(17世紀後半)、淀川流域の山々では木々の伐採や木の根の採集が増加したため、土砂流出が進み洪水や河口部での土砂堆積が深刻な問題となっていた。そこで幕府は、大坂での安治川の開削や川底の土砂の浚渫を行ったほか、山間部では「土砂留」と呼ばれる砂防工事をおこなった。本図は、その砂防工事の場所(摂津・河内両国で522か所)を地図で示したもので、当時の土砂流出の実情を示す数少ない史料である。(画像は一部分)


淀川改良大阪市内・西成郡買収地図

淀川改良大阪市内・西成郡買収地図

明治26年(1893)頃
淀川資料館蔵

新淀川は旧中津川が流れていた地域に開削されたが、旧中津川は新淀川に比べると川幅が狭く蛇行していたため、新淀川の河川敷の大半は農地などを買収したものであった。本図は、その買収した場所を地図にしたものである。地図で表記されているのが新淀川の河川敷である。旧中津川が横断している。宅地や墓地なども川になったことがわかる。


大阪風景画帖より 新淀川と淀川大橋

大阪風景画帖より 新淀川と淀川大橋

昭和戦前期
本館蔵

開削後約30年を経た新淀川とそれに架かる淀川大橋を北側から描いている。作者は不詳。対岸に林立する煙突は現在の此花区一帯で、当時の河口部の景観がよくわかる。絵の淀川大橋は大正15年(1926)に完成したもので、旧阪神電鉄国道線の線路が見える。この橋は現存し、往時の姿を今に伝えている。


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