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  5. 第76回特集展示「摂河泉の古瓦―採集資料からみた古代・中世の寺院―」

(H25.7.15更新)

第76回 特集展示

摂河泉の古瓦
―採集資料からみた古代・中世の寺院―

◆ 平成23年 12月7日(水)平成24年 2月13日(月) ◆
毎週火曜日休館
会場
8階 特集展示室
時間
9:30~17:00(金曜は20:00まで)
※入館は閉館30分前まで
観覧料
常設展示観覧料でご覧いただけます
主催
大阪歴史博物館、(財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所

大阪歴史博物館では、平成23年12月7日(水)から平成24年2月13日(月)まで、8階特集展示室において特集展示「摂河泉の古瓦―採集資料からみた古代・中世の寺院―」を開催します。

この展示では、大阪歴史博物館所蔵の古瓦コレクションを中心に、大阪市内の出土品もまじえながら、古代から中世にかけての古瓦を展示します。

古代・中世の頃、「摂津」・「河内」・「和泉」に分かれていた大阪にも、京都や奈良とならび多くの寺院が建てられました。しかし、その存在が文書や記録などに名をとどめるのみになってしまった寺院も多く、発掘調査などによって徐々にその具体的な姿が明らかにされつつあります。

大阪歴史博物館には、これまで多くの瓦コレクションが収められてきました。そのなかには、のちに発掘調査が行われたことでより具体的な姿がわかる寺院のものも含まれていますが、特に中世の和泉や河内などの地域で発見されたコレクションには、今もなお詳細が不明なままの寺院跡とされる場所からみつかった瓦も見受けられます。また、寺院以外にも、共同墓地に建っていた建物で使用されていた瓦と考えられるものもあり、寺院と墓地を繋げる可能性を秘めた手がかりとして注目されるところです。

当館所蔵の古瓦コレクションからは初めての出品となるものも多いので、ぜひこの機会にご覧いただければと思います。


期間中の関連行事

展示解説

【日時】
  1. 平成23年12月17日(土)
  2. 平成24年 1月21日(土)
  3. 平成24年 2月 4日(土)

いずれも午後2時より30分程度

【会場】 大阪歴史博物館 8階 特集展示室内
【担当】 加藤俊吾(当館学芸員)
【参加費】 無料(ただし、入場には常設展示観覧券が必要です)
【参加方法】 当日直接会場へお越し下さい

なにわ歴博講座
(冬の講座その1「博物館のさまざまな研究」第3回目)

【日時】 平成24年1月27日(金) 午後6時30分~
【演題】 「大阪歴史博物館所蔵古代・中世瓦の採集地をめぐって」
【講師】 加藤俊吾(当館学芸員)
【会場】 大阪歴史博物館 4階 講堂
【参加費】 200円
【定員】 250名(先着順)
【参加方法】 当日直接会場へお越し下さい

おもな展示資料

展示資料数:約120点
宝塔文軒丸瓦
宝塔文軒丸瓦ほうとうもんのきまるがわら
堺市仏光寺ぶっこうじ跡 平安時代 8世紀末~12世紀末 本館蔵
単弁蓮華文軒丸瓦
単弁蓮華文軒丸瓦たんべんれんげもんのきまるがわら
八尾市秦興寺しんこうじ跡 奈良時代後期 8世紀後半 本館蔵
連珠文軒平瓦
連珠文軒平瓦れんじゅもんのきひらがわら
東大阪市岩田墓地 鎌倉時代前半 13世紀 本館蔵

主な展示資料

宝塔文軒丸瓦

(1)宝塔文軒丸瓦ほうとうもんのきまるがわら

堺市仏光寺ぶっこうじ跡 平安時代 8世紀末~12世紀末 本館蔵

和泉地域に所在する仏光寺跡は、寺院跡が発掘調査で確認され、そこで使用されていた瓦の様子が詳しく分かっている遺跡のひとつ。これは、その仏光寺跡から発掘調査以前に出土したと伝えられる資料である。宝塔文といわれる仏舎利塔(仏堂)を文様とする。

背景模様を斜格子文にする点が仏光寺の宝塔文の特徴とされている。


単弁蓮華文軒丸瓦

(2)単弁蓮華文軒丸瓦たんべんれんげもんのきまるがわら

八尾市秦興寺しんこうじ跡 奈良時代後期 8世紀後半 本館蔵

八尾市秦興寺は、中河内最大の前方後円墳である心合寺山しおんじやま古墳に隣接する寺院と考えられているが、詳細は不明である。採集品は個人蔵となるものも含めていくつか知られている。中房ちゅうぼうと呼ばれる中心部分に輻射文ふくしゃもんを持つ点が特徴。


連珠文軒平瓦

(3)連珠文軒平瓦れんじゅもんのきひらがわら

東大阪市岩田墓地 鎌倉時代前半 13世紀 本館蔵

平安時代末期から鎌倉時代初頭になると、あらたな文様が創出される。ここにあげた連珠文とよばれる文様もそのひとつで、巴文などをもつ軒丸瓦と組み合わせて用いられていたと考えられる。この瓦が採集された岩田墓地は、奈良時代の僧行基ぎょうきによって開かれた河内七墓かわちななはかのひとつとされており、現在も共同墓地として使用されている場所である。