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関東大震災と大阪

(H26.6.11更新)

平成23年5月11日(水)~ 9月19日(月・祝)(予定)

大阪市役所吏員救護日誌
大阪市役所助役有田邦敬ありたくにゆき救護日誌
大正12年(1923) 本館蔵(小方敬子氏寄贈)
大阪市は、大正12年(1923)9月1日に関東大震災が起こると、翌日に有田邦敬 ありたくにゆき 助役をはじめとする市吏員10名を大阪商船シカゴ丸にて派遣しました。この資料は、派遣された有田自らが記した活動日誌です。出発当日は、朝鮮人暴動のデマや戒厳令施行など、わずかな「情報」しか入手できなかったことなどがリアルに記されています。日誌2頁目には、「 不逞鮮人ふていせんじん跋扈ばっこ」、「無電輻輳ふくそう」などの文字がみられます。
大阪市救援部各課並主任者事務分掌
大阪市救援部各課並主任者事務分掌
大正12年(1923) 本館蔵(小方敬子氏寄贈)
大阪市は、9月4日に臨時救援部を設置し、その部長に後に市長となる関一せきはじめ助役を任命します。すでに被災地に派遣されている有田邦敬助役は、関東課課長に就きました。また、救護課を社会部(部長天野時三郎)に、輸送課を港湾部(部長直木倫太郎)に、それぞれ分担させます。社会部は、市営住宅、職業紹介所、共同宿泊所など当時としては先進的な社会事業施設を担当していた部署でした。これらの施設は被災者を優先的に受け入れていきました。
大阪市協和聯合会参考資料
大阪市協和聯合れんごう会参考資料
大正12年(1923) 本館蔵(小方敬子氏寄贈)
協和聯合会は、大正11年5月に既存の町内会の連絡・統合を目的に、大阪市が主導して結成された教化団体です。この冊子は、震災時の市の活動の概要を聯合会加盟の諸団体に普及・周知するために作成されたものです。町内会も秋の懇談会や遠足を中止して、義捐金ぎえんきん を拠出したことがわかります。よくみると表紙の右上に鉛筆で「有田助役殿」と記されており、有田助役に提出するために使用されたこともわかります。
大阪府方面委員手帳
大阪府方面委員手帳
大正12年(1923) 本館蔵(池田啓子氏寄贈)
大阪府側で震災救護活動に顕著な働きをしたのが、大阪府方面委員(現民生委員)に任命された人々でした。この手帳は、難波第一方面で委員をしていた田中半治郎が使用していたものです。9月11日から同14日にかけての活動が記されており、この間、田中は、寄贈用の毛布を購入するために大津町(現泉大津市)に出張したり、夜11時まで委員同士で協議をするなど、奔走していたことがわかります。委員のなかには、身寄りのない避難者に自宅を提供するものもいました。
震災調査宣伝チラシ
震災調査宣伝チラシ
大正12年(1923) 本館蔵(野村吉夫氏寄贈)
大震災翌日に政府内に設置された臨時震災救護事務局は、被災者救護と復興計画の必要性から、避難者についてその避難先での状況を調査することを決定します。これを受けて、大阪市では、1192名の人々が調査員に嘱託されました。このチラシは、この調査が大正12年11月15日に実施されることを宣伝するものです。
震災調査票綴
震災調査票綴
大正12年(1923) 本館蔵(野村吉夫氏寄贈)
震災避難者調査員は、担当区域内における避難者の生活状況、罹災の種類、死者・不明者数などを調査し、その結果を個人票や世帯ごとにまとめた世帯票に記入しました。この資料は、北区松ヶ枝まつがえ学区の調査員に任命された野村吉兵衛が記入した調査票の綴です。野村は、松ヶ枝学区の有力者の一人で、区会議員など各種の名誉職を兼任していました。「震災当時ノ住所ニ帰リタイ」との記述が涙を誘います。

この3月に起きた東日本大震災の後、被災地とならなかった地域や自治体は、支援活動を展開しながら、何が被災者にとって必要な活動かを模索しています。先の阪神淡路大震災で被災した自治体の活躍が報じられたりもしています。過去の災害における支援活動の実態やその問題点などを検証することも必要ではないかと思います。このコーナーでは、大正12年(1923)の関東大震災時における大阪市と大阪府の活動を振り返りたいと思います。

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