1. ホーム
  2. 展示・イベント
  3. 常設展示
  4. 常設展示更新
  5. 過去年度の展示更新
  6. 第1回普通選挙のチラシ

第1回普通選挙のチラシ

(H26.6.12更新)

平成23年8月31日(水)~ 9月26日(月)(予定)

枡谷寅吉選挙チラシ
枡谷寅吉ますたにとらきち選挙チラシ

昭和3年(1928) 個人蔵

枡谷は、九条・築港方面の土建業者で、このチラシの文言にもあるように、「仁侠」代議士として名をはせた人物です。政府工事を請け負う土建業者には、大正14年(1925)の普選法成立まで被選挙権がありませんでした。すでに市会議員も経験していた枡谷にとっては、満を持しての立候補だったのでしょう。枡谷は、投票日前日、当日などにも違うデザインのチラシを発行していました。なお、このチラシとほぼ同じデザインのポスターが現在大原社会問題研究所にも所蔵されています。
板野友造選挙チラシ
板野友造いたのともぞう選挙チラシ

昭和3年(1928) 個人蔵

板野は、岡山県出身の弁護士です。犬養毅の側近の一人で、大阪の国民党系政友会員の元締格であった人物です。昭和13年(1938)の国家総動員法案の審議中に起きた「黙れ事件」の際、質問者だったのが板野でした。このチラシについてもほぼ同じものが大原社会問題研究所に所蔵されています。板野陣営も、投票日前日に違うデザインのチラシを発行しており、それには、今北治作や直島藤太郎など、当時の著名な博徒侠客が推薦者として名を連ねていました。
一松定吉選挙チラシ
一松定吉ひとつまつさだよし選挙チラシ
昭和3年(1928) 個人蔵
一松も弁護士で、立憲民政党大阪支部の重鎮の一人であった人物です。戦後も政治家として活動し、第1次吉田茂内閣の逓信大臣、片山哲内閣の厚生大臣、芦田均内閣の建設大臣などを歴任しました。このチラシをよく見ると、中央部の「一松定吉」と印刷された部分の両側にミシン目が入っており、この部分を切り取って、投票所に持参できるようになっていました。

選挙といえば、街頭演説やポスター、政見放送などを思いつきますが、歴史を振り返ると最初からこれらのものが選挙にあったかというとそうではありません。たとえば、ポスターやチラシは、日本初の普通選挙(男子のみ)が実施された第16回総選挙(昭和3年)をきっかけに普及したものです。制限選挙のもと、それまでわずか300万人ほどしかいなかった投票者が、普選実施によって一挙に約1300万人と激増しました。これに対応する新たな選挙戦術として考え出されたのが、ポスターなどの印刷物を大量に設置・配布するという方法だったのです。しかも当時の法律では、印刷物の大きさ(縦約1m×横約60cm)や色合い(2色まで)などには規制がありましたが、印刷物の設置場所には事実上制限がありませんでした。街中いたるところに選挙ポスターが貼られている、これが第1回普戦の選挙風景だったのです。

今回紹介するのは、第1回普選で配布された選挙チラシ(B5サイズ大)です。大阪一区の候補者のものです。日本で選挙ポスター類を系統的に所蔵している機関としては、法政大学大原社会問題研究所があります(ポスター類は、研究所ホームページの「大原デジタルミュージアム・戦前ポスターデータベース」で検索できます。収集の経緯については、二村一夫著作集の「後藤貞治のこと」をご覧ください。二村氏は同研究所の名誉研究員です)。今回紹介するチラシには、研究所でも所蔵されていないものが含まれています。その意味でも大変貴重な資料です。チラシをみながら、誰が当選したのかを予想するのもおもしろいかもしれません。どうぞ、ご覧ください。(飯田直樹)

フロア / 7階 コーナー / メディアと流行
7階フロアマップ