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大阪城天守閣復興事業に寄付をした人びと

(H26.6.12更新)

平成23年10月12日(水)~ 11月7日(月)(予定)

大阪市大礼記念事業費寄付につき感謝状
大阪市大礼記念事業費寄付につき感謝状
昭和4年(1929) 本館蔵(野村吉夫氏寄贈)
天守閣復興事業を含めた大阪城公園整備事業は、昭和天皇の大礼記念、すなわち即位記念事業として実施されました。この感謝状は、この事業に10円を寄付した野村吉兵衛に贈られたものです。吉兵衛は、北区松ヶ枝まつがえ小学校学区の有力者の一人で、学区の区会議員や衛生組合の役員などをつとめていました。野村家は江戸時代から天満橋筋四丁目に土地を持つ旧家でした。
松ヶ枝小学校プール設置費寄付の領収書
松ヶ枝まつがえ小学校プール設置費寄付の領収書
昭和2年(1927) 本館蔵(野村吉夫氏寄贈)
松ヶ枝小学校は大正14年(1925)に鉄筋コンクリート造校舎を新築していましたが、船場の富裕学区の小学校のようにプール設備がありませんでした。そこで昭和2年にプール建設事業を計画し、学区内の住民から寄付を募ります。野村吉兵衛は15円を寄付しました。別の資料によれば、このプール建設事業も昭和天皇の大礼記念事業として実施されたことがわかっています。
大阪市大礼記念事業費寄付につき感謝状
大阪市大礼記念事業費寄付につき感謝状
昭和4年(1929) 本館蔵(池田啓子氏寄贈)
これも大阪城公園整備事業寄付者に対して贈られたものです。この事業に2円寄付した田中半治(二)郎は京都府出身。大正7年(1918)の米騒動後に方面委員(現民生委員)などをつとめるなどして、千日前せんにちまえ地域で頭角を現してきた新興の有力者です。10円を寄付した野村吉兵衛宛の感謝状と比較すると、文言は一緒ですが、体裁が簡易なものになっています。寄付の金額によって違いがあったことがわかります。
難波河原小学校備品購入費寄付につき感謝状
難波なんば河原かわはら小学校備品購入費寄付につき感謝状
昭和4年(1929) 本館蔵(池田啓子氏寄贈)
千日前の一角にあった難波河原小学校は、昭和4年に鉄筋コンクリート造3階建の校舎を新築しました。その際、同校の保護者会は、備品を購入するために寄付を募りました。保護者会幹事をつとめていた田中半治郎も5円を寄付しています。「田中半三郎」は田中半治郎の通名です。

今年は大阪城天守閣が復興されてちょうど80年という記念すべき年です。昭和3年(1928)、当時の市長関一せきはじめが天守閣復興事業を含む大阪城公園整備計画を市会に提案し、大阪市は市民から寄付金を募ることになりました。現在の天守閣は、この寄付金にもとづいて昭和6年11月7日に完成したのです。

実は同じ頃もう一つ別の事業からも市民は寄付を求められていました。小学校の建設事業です。戦前の市内の小学校は、それぞれの学区のコミュニティセンターとして機能しており、いわば地域のシンボルでした。全市のシンボルとして建設されようとした天守閣と各学区のシンボルであった小学校。市民はどちらの建設事業により関心を持っていたのでしょうか?あるいはどちらにより多くの寄付をしたのでしょうか?これらの点について、野村吉兵衛と田中半治郎という二人の人物にスポットをあてて考えてみたいと思います。(飯田直樹)

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