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生誕100年記念 双葉山と大阪大国技館

(H26.6.12更新)

平成24年2月29日(水)~ 4月9日(月)(予定)

大阪大国技館竣工記念たばこ盆
大阪大国技館竣工記念たばこ盆 
昭和12年(1937) 本館蔵(三枝濱子氏寄贈)
明治42年(1909)に東京両国に最初の国技館が建設されると、各地で「国技館」と称する建物が作られるようになります。それらのなかで最大規模だったのが大阪大国技館でした。昭和12年(1937)6月、旭区関目(現城東区古市2丁目)に完成しました。本品は、それを記念して国技館の形そっくりに作られた大変珍しいものです。

大阪大国技館竣工記念大場所風景(パネル展示) 
昭和12年(1937) 本館蔵(個人蔵)
昭和12年に国技館が完成すると、同年6月9日からそれを記念して大場所と呼ばれる13日間の相撲興行が開催されました。主催者は、国技館を経営する旭土地興業株式会社と相撲協会の前身である(財)大日本相撲協会でした。この写真は、この場所の時に館内から北を向いて撮影されたものです。写真上部にみえる城北川にかかる橋にまで人の列が続いていることがわかります。
横綱双葉山の土俵入り
横綱双葉山の土俵入り(パネル展示)
昭和12年(1937) 本館蔵(三枝濱子氏寄贈)
国技館竣工記念大場所の時に撮影されたと思われる写真です。前月の5月場所で三場所連続の全勝優勝をなしとげた双葉山は、横綱に推挙されます。つまり、この場所は、新横綱双葉山お披露目の場所でもあったのです。
第三回大相撲大阪大場所パンフレット
第三回大相撲大阪大場所パンフレット
昭和13年(1938) 本館蔵(柴垣コレクション)
大阪大国技館では、昭和15年までに「大場所」と呼ばれる13日興行が計7回開催されました。本品は、昭和13年4月に開催された3回目のものです。この時の番付は、双葉山ら4人の横綱を擁する豪華なもので、表紙にも四横綱の顔写真が掲載されています。この場所も大変な人気で、初日は前日の夜10時に開場したと言われています。しかし、大変な盛り上がりをみせた大阪での大場所も次の4回以降かげりが見えるようになります。人気力士が次々と戦地に召集されたことが原因でした。国技館そのものも昭和15年に軍需工場に転用されることになってしまいます。
松ノ音 善藏 二代長谷川貞信画
双葉温泉 鬼瓦 
昭和12年(1937)製 本館蔵(池永敏子氏・池永節子氏寄贈)
日本全国が相撲人気、双葉山人気に沸いていた昭和13年、現在の淀川区西三国の地に双葉温泉という銭湯が開業しました。本品は、銭湯の入口屋根に用いられていた鬼瓦です。銭湯の名前の由来である双葉山をかたどっています。力士の鬼瓦は大変珍しいもので、当時の双葉山人気の高さがうかがえます。

69連勝で有名な横綱双葉山は、100年前の明治45年(1912)に生まれました。双葉山の全盛期であった昭和12年(1937)、大阪の関目(現城東区古市2丁目)に大阪大国技館が完成します。4階建て、収容定員2万5千人という巨大な建物でした。今の国技館(約1万1千人)をはるかにしのぎます。双葉山は、この国技館竣工記念の相撲で、「三段構え」という特別の儀式の時だけ行われる型を披露したと言われています。今回の展示では、双葉山生誕100年を記念し、双葉山と大阪大国技館に関する資料をご紹介します。

なお、城東区役所のホームページでも国技館やその周辺の相撲茶屋について紹介されています。あわせてご覧下さい。

また、今回紹介した資料の一部については、3月25日(日)に開催された第8回城北川フェスティバルの会場にて写真パネルで紹介されました。その後、城東区役所でも展示されています(4月6日まで)(飯田直樹)

城東区役所での展示風景

城東区役所での展示風景


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