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日欧のサムライたち-オーストリアと日本の武器武具展-
(H25.8.21更新)

主な展示資料

【オーストリア】

貴人の四分の三身甲冑 ブラックアンドホワイトデザイン

貴人の四分の三身甲冑

1550年頃
オーストリア
(シュタイヤーマルク州立博物館ヨアネウム 武器庫蔵)
©Universalmuseum Joanneum, Landeszeughaus

同時代の男性の衣服の意匠を参照して作られた甲冑である。16世紀には公式の場では、銀の刺繍がほどこされた黒いビロードの服、いわゆる「スペイン風の宮廷衣装」を着ることが決められており、それが甲冑の意匠に反映されている。なお、残念ながら甲冑を使用した人物については不明である。


剣

1580-1620年 オーストリア  (シュタイヤーマルク州立博物館ヨアネウム 武器庫蔵)
©Universalmuseum Joanneum/N. Lackner

騎士が用いたもので、片手での使用を想定しているため、柄が短くなっている。つばが大型化しているのは、拳を保護する目的のほかに、装飾的な意味があった。


マッチロック式マスケット銃(火縄銃)マッチロック式マスケット銃(火縄銃)

1600-1620年 オーストリア  (シュタイヤーマルク州立博物館ヨアネウム 武器庫蔵)
©Universalmuseum Joanneum/N. Lackner

先込式の歩兵銃である。マッチロック式とは火種を金具で挟んで火皿に点火する方法で、従来の火種を手で押しつける方法から大幅に改良されたものであり、16世紀の銃の主流を占めた。弾丸は従来の火縄銃のものの2倍の重さがあり、貫通力が大幅に増した。銃の改良にともない、以降の軍隊ではマスケット部隊が増え、戦場で銃が重視されることになった。


【参考】 シュタイヤーマルク州立博物館ヨアネウム 武器庫武器庫外観武器庫展示風景

オーストリア

シュタイヤーマルク州立博物館ヨアネウムを構成する博物館の一つであり、甲冑、刀剣、銃など32,000点を所蔵する。起源は15~17世紀に、ハプスブルク帝国の国境地帯の防衛と、国境に武器を供給するための武器庫である。収蔵された武器が旧式化するにともない、何度か売却されそうになったが、その都度シュタイヤーマルクの歴史的遺産として保存される声があがり、現在まで残されてきた。現在のグラーツ市を代表する観光地であるとともに、地元の学校の生徒が必ず訪れる場所でもある。


【日本】

色々威二枚胴具足いろいろおどしにまいどうぐそく

色々威二枚胴具足

豊臣時代16世紀末~17世紀初頭
(大阪城天守閣蔵)

豊臣秀吉近習きんじゅうの具足といわれ、尾張徳川家に伝来した16領のうちのひとつ。徳川家康の遺産として息子の義直(初代尾張藩主)に分与された。裾板や兜の吹返ふきかえしには桐文、胸板には竜文が金蒔絵される。


刀 銘 吉廣作よしひろさく/和泉国

刀

室町時代15世紀後半 (大阪城天守閣蔵)

吉廣は室町時代(15世紀後半)に和泉国で活動した刀工。代表作である本品から相当の技量であったことがうかがえるが、現存作品は極めて少ない。さやの全体に金箔を押し桐文を散らした江戸時代のこしらえが付属する。


大火縄銃おおひなわじゅう 銘 榎並屋勘左衛門えなみやかんざえもん 大てんぐ 十匁弐分

大火縄銃

江戸時代17世紀前半 (大阪城天守閣蔵)

全長2mを超す大鉄砲。堺の鉄砲鍛冶の製作になる。秀吉につかえた毛利高政(豊後隈城主)が朝鮮出兵や大坂の陣で用いたと伝えられる銃の仕様と一致しており、本品も同じ経歴をもつと考えられる。


長篠合戦図屏風

長篠合戦図屏風

江戸時代17世紀後半 (大阪城天守閣蔵)

織田信長、徳川家康連合軍が武田勝頼を破った長篠合戦を描いた屏風。向かって右方に長篠城を描き、中央には川を挟んで鉄砲を並べた織田・徳川軍と、銃撃により倒される武田の騎馬隊が描かれている。本品は尾張藩家老の成瀬家が17世紀後半に制作したと考えられる成瀬家本の屏風をもとに、尾張徳川家の周辺でつくられたものと推測される。



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