織田作之助写真
昭和21年(1946) 【パネル展示】
織田作之助は、昭和21年11月「土曜夫人」執筆のため上京する。この写真は、上京中の織田を写真家三木淳が撮影したもの。宇野浩二が「よく似合う」と言ったジャンパーを着ている。上京中は、太宰治・坂口安吾・林芙美子らと交流を重ね、「可能性の文学」を執筆した。しかし、12月4日深夜に大喀血し、翌年1月10日、十日戎の日にそのまま東京で帰らぬ人となった。
『夫婦善哉』原稿と初版本
昭和15年(1940) 大阪府立中之島図書館蔵
同人誌『海風』に掲載された「夫婦善哉」は、昭和15年、改造社『文芸』第1回推薦作品に選ばれ、織田の出世作となった。単行本は、同年に創元社から出版された。織田の死後「夫婦善哉」は、昭和30年(1955)に森繁久彌・淡島千景主演で映画化され、大ヒットした。
織田作之助生前刊行の初版本
昭和15年(1940)~22年(1947) 個人蔵
織田作之助は、生前に20冊の本を出版した。大阪を舞台にした小説のほか、大阪論や大阪ゆかりの人物の評論なども出版している。
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織田作之助は、昭和21年11月「土曜夫人」執筆のため上京する。この写真は、上京中の織田を写真家三木淳が撮影したもの。宇野浩二が「よく似合う」と言ったジャンパーを着ている。上京中は、太宰治・坂口安吾・林芙美子らと交流を重ね、「可能性の文学」を執筆した。しかし、12月4日深夜に大喀血し、翌年1月10日、十日戎の日にそのまま東京で帰らぬ人となった。