天保山と築港の歴史
(H25.5.28更新)
平成25年5月31日(金)~8月5日(月)予定
江戸時代、安治川・木津川両河口は上流から土砂が運ばれ、たびたび廻船の通行が困難になったため、天保2年(1831)川底の土砂を取り除く大浚えを行いました。その土砂でつくった山が天保山です。
明治になると、天保山沖から約4kmの川口居留地に波止場が設けられましたが、大型船は入港できませんでした。商工業都市としての大阪の発展のため、大型船が入港できる大阪港の整備が切望されましたが、実現には長い年月を要しました。明治30年(1897)ようやく起工、同36年(1903)に築港大桟橋が完成しました。また、同年に花園橋と築港を結ぶ築港大道路と最初の大阪市電が完成し、大阪の海の玄関・築港の基盤が整備されました。
本展示では、天保山ができてから築港が整備されるまでの様子を展示します。
(酒井一光)
フロア / 7階 | コーナー / 近代都市の建設 |