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災害とメディア

(H25.10.2更新)

平成25年9月25日(水)~11月4日(月・祝)予定

東日本大震災の際、ツイッターやフェイスブックなどの新しいメディアの役割が注目され、またその功罪が議論されました。過去の災害でも、その時代の社会状況や技術革新を反映した様々なメディアが現れました。今回の展示では、安政江戸地震後の短期間に流行した鯰絵(なまずえ)、戦前には報道機能を持っていた絵葉書、現在もみられる新聞号外などをご紹介します。(飯田直樹)

ぢしんほうぼうゆり状の事

安政2年(1855)
本館蔵
ぢしんほうぼうゆり状の事

奉公人請状という雇用契約書の形式をかりて作られた鯰絵です。これから雇われようとする鯰の「ゆり助」の身元を、「ぶるぶるやこわ右衛門」らが、「大坂町屋敷大つなみ打寄場」に住む「橋々屋おち右衛門」という雇い主に保証するという趣向になっています。大坂は、1854年の安政南海地震の津波によって多数の溺死者や落橋など大きな被害を受けました。ユーモラスなネーミングの背景には、このような被害の実態があったのです。

日本未曾有関東大震災実況絵葉書

大正12年(1923)
個人蔵
日本未曾有関東大震災実況絵葉書1、2、3

大阪堺筋にあった栗本本店という、絵葉書を専門に製造・販売していた店からだされた絵葉書集です。8枚1セットのシリーズもので、第五報まで確認できます。大変人気の絵葉書集だったようで、第五報の袋の裏には「第四報が売切」と記録されています。被災地の写真だけでなく、大阪での救援活動の写真も収録されています。

丹後但馬震災画報

昭和2年(1927)
個人蔵
丹後但馬震災画報1、2

北丹後地震(昭和2年)の際、大阪毎日新聞社が「苦き国民的経験」を永く後世に伝えるために出版した報道写真集です。同社は関東大震災や大正14年(1925)の北但馬地震の際にも同様の写真集を刊行しています。写真の大半は、被害が集中した現在の京丹後市・与謝野町地域を撮影したものですが、当時の大阪市内を撮影したものも少なからずあります。国会図書館のデジタルライブラリーでは、全ページを閲覧できます。

大阪朝日新聞号外

昭和2年(1927)
本館蔵(岡本正雄氏寄贈)
大阪朝日新聞号外

北丹後地震当日(昭和2年3月7日)の号外です。大阪市内は停電で大混乱だったことがわかります。「関東地震の比ではない」などの表現から、この地震が当時の人びとにとって大きな衝撃だったことがわかります。また、根拠のない流言蜚語が広まることを予防するため、地震後すぐに大阪府警高等課が「市内に異常なし」と発表していることもわかります。

フロア / 7階 コーナー / メディアと流行
7階フロアマップ