1. ホーム
  2. 展示・イベント
  3. 常設展示
  4. 展示更新情報
  5. 長原七ノ坪古墳に見える百済と新羅

長原七ノ坪古墳に見える百済と新羅

(H28.6.9更新)

平成28年6月15日(水)~ 9月19日(月)(予定)

今から30年ほど前に大阪市平野区で発見された長原七ノ坪古墳(6世紀初頭)は、百済に起源が求められる片袖式横穴式石室がある一方で、新羅の古墳でよく発見される鍔付鉄鉾も出土しています。朝鮮半島との多様な交流を示しているものと思われます。

長原七ノ坪古墳は、200基以上からなる長原古墳群の最終段階の古墳であるとともに、市内で発掘調査された唯一の横穴式石室をもつ古墳です。馬具などの他の副葬品も含め、この機会にぜひご覧ください。

(寺井誠)

横穴式石室の発見状況

横穴式石室の発見状況(1985年撮影)

横穴式石室とは石で部屋を築き、羨道(せんどう)という通路が付く石室のことです。この写真の石室は、後世の耕地開発で破壊が進み、基部しか残っていませんが、平面プランがよくわかり、入口(写真の上方)から見て石室(写真の中央)の片方だけが張り出している様子がうかがえます。このような形態の石室を着物の袖にたとえて、「片袖式横穴式石室」と呼ばれ、百済に起源があるとされています。


鍔付鉄鉾

鍔付鉄鉾(つばつきてつほこ)

鉾(ほこ)は長い柄の先端にはめ込んで使う武器です。鍔(つば)がつく鉾は非常に珍しく、日本列島で10例ほどしかありませんが、新羅(朝鮮半島南東部の国)の古墳では数多くの類例があります。具体的にどういう経路で長原七ノ坪古墳の副葬品になったのかは不明ですが、新羅との交流の産物であると思われます。

フロア / 10階 コーナー / 特設展示コーナー
7階フロアマップ