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古墳時代中期、長原遺跡のものづくり

(H28.9.13更新)

平成28年9月21日(水)~ 11月28日(月)(予定)

大阪市平野区にある長原遺跡では、約二万年前の後期旧石器時代から江戸時代までの人々の暮らしや活動のあとが見つかっています。これほど長期間にわたって連続して人々の営みがわかる遺跡は国内でも珍しく、注目されています。

長い歴史を持つ長原遺跡の中で、古墳時代中期(5世紀)は玉作りや鍛冶(かじ)、漆工(しっこう)などの様々なものづくりや馬飼いが行われていたことが大きな特徴です。この時期、古市古墳群(ふるいちこふんぐん)や百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)が造営され、泉北丘陵や千里丘陵では須恵器(すえき)作りが始まり、河内湖沿岸の集落では馬飼いや鉄器生産などのものづくりが盛んになります。長原遺跡のものづくりも、このような当時の大阪の動きを反映したものとみられます。

(杉本厚典)

古墳時代中期の工房

古墳時代中期の工房

大阪市平野区長吉長原東1丁目の調査地で「コ」字形の溝に囲まれた区画が見つかりました。溝の中から鉄滓(てっさい)が見つかっていることから、工房と考えられています。この工房の近くからは羽口(はぐち)がまとまって見つかっており、調査地とその周辺で鉄器生産が行われていたとみられます。また、韓式系土器(かんしきけいどき)や初期須恵器(しょきすえき)が出土しており、渡来人(とらいじん)が鉄器生産にかかわっていた可能性が考えられています。


まとまって出土した砥石と玉未成品

まとまって出土した砥石(といし)と玉未成品(たまみせいひん)

同じ調査地では製作途中の勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)、砥石がまとまって出土しました。玉の材料は古墳時代前期に多い深緑色の碧玉(へきぎょく)よりも、薄緑色で軟らかい緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん)が多くみられます。製作途中の管玉は、角柱状に整えた段階のものがほとんどです。勾玉・管玉のネックレスやブレスレットは、当時、身分の高い人たちの装飾品でした。四條畷市蔀屋北遺跡(しとみやきたいせき)、北口遺跡(きたぐちいせき)でも緑色凝灰岩を用いた玉作りの証拠が見つかっており、河内湖沿岸で小規模ながらもこれらのアクセサリー作りが行われていたことがうかがえます。

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