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大阪相撲の横綱 八陣信蔵

(H29.3.6更新)

平成29年3月8日(水)~3月27日(月)(予定)

江戸時代から大阪には相撲を職業とするプロの相撲集団が存在しました。大阪相撲です。この大阪相撲が昭和2年(1927)に東京相撲と合併して現在の相撲協会が誕生しました。
 先日、新横綱稀勢の里誕生というニュースが各メディアで報じられ、相撲ファンを喜ばせました。実は、大阪相撲にも横綱が存在しました。今回は、その一人である八陣信蔵(1837-1902)をとりあげ、八陣に関する錦絵や番付を紹介します。

(飯田直樹)

須恵器 杯

八陣信蔵横綱土俵入之図

明治4年(1871)頃 本館蔵(池永敏子氏・池永節子氏寄贈)
八陣は、明治4年7月に、京都の公家である五条家から横綱の免許を受けました。大阪相撲には、相撲の家元である吉田司(つかさ)家ではなく、八陣のように五条家から免許を受けた横綱がいました。江戸時代の大相撲は、江戸・大坂・京都など各地の相撲集団が合同で興行していましたが、八陣が横綱免許を受けた頃の大阪相撲は、単独で大相撲興行をしていました。場所中の八陣の横綱土俵入りは、興行の目玉となったことでしょう。
相撲番付

相撲番付

明治5年(1872) 本館蔵(竹森章氏寄贈)
八陣信蔵が横綱になって初めて出場した大相撲の番付です。大関として八陣の名前があり、名前の横に「横綱土俵入」とあります。この当時は、「横綱」が番付上の地位ではないことがわかります。欄外に名前のある不知火にも「横綱土俵入仕候」とあります。不知火は、八陣とは違い、吉田司家から文久3年(1863)に横綱免許を受けています。
相撲番付

相撲番付

明治7年(1874) 本館蔵(竹森章氏寄贈)
八陣信蔵現役最後の番付です。八陣の名は、番付の欄外にあり、その下に「横綱土俵入仕候」とあります。また、出身地を示す頭書が、それまでの番付では「淡路」(淡路国=淡路島)であったのが、「大阪」に変わっています。八陣は、津名郡尾崎村(現淡路市)の出身でしたが、この変更の理由はよくわかりません。
相撲番付

相撲番付

明治8年(1875) 本館蔵(竹森章氏寄贈)
八陣引退後最初の番付です。この相撲の興行元は師匠の小野川濱五郎でしたが、場所直前に急死してしまいます。そのため、急遽弟子の八陣が興行元となりました。この番付では興行元の欄に貼り紙がされ、そこには「小野川信蔵」とあります。八陣のことです。八陣が師匠亡き後、小野川の名跡を継承したことがわかります。
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