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(H29.4.21更新)

第113回 特集展示

浪花百景 下安治川随見山大阪町めぐり 安治川と天保山

◆平成29年6月21日(水)~ 8月28日(月)◆

火曜日休館
※8月15日(火)は開館

会場 8階 特集展示室
時間 9:30~17:00
会期中の金曜日は午後8時まで開館
(ただし、6月23日・6月30日・
7月7日を除く)
※入館は閉館30分前まで
観覧料 常設展示観覧料でご覧いただけます
主催 大阪歴史博物館

大阪歴史博物館では、平成29年6月21日(水)から8月28日(月)まで、8階特集展示室において、特集展示「大阪町めぐり 安治(あじ)川と天保山」を開催します。

大阪歴史博物館の特集展示では、「大阪町めぐり」と銘打って市内各地域の歴史や文化を紹介する展示を行ってきました。今年は大阪港が開港してから150年目を迎えることから、大阪の港にゆかりの深い安治川・天保山を取り上げます。

大阪の地は瀬戸内海の東端に位置し、古代の難波津以来、港として栄えてきました。江戸時代には、「天下の台所」と言われるように全国的な流通の中心でした。しかし、港が淀川の河口にあるため、土砂が堆積しやすく、船舶の通行に支障をきたすこともありました。そこで、安治川が開削されたり、安治川河口の浚渫(しゅんせつ)が行われ、その土砂で天保山ができました。 その後天保山は、観光名所や異国船に対処するための台場、港などさまざまに変遷しました。

本展示では、江戸時代から明治時代にかけての安治川や天保山を中心として大阪の港の移り変わりを館蔵資料で紹介します。

関連行事

展示解説
【日 時】 平成29年7月15日(土)、7月17日(月・祝)、
8月11日(金・祝)、8月19日(土)(計4回)
いずれも午後2時から30分程度
【会 場】 大阪歴史博物館 8階 特集展示室
【講 師】 八木滋(大阪歴史博物館 学芸員)
【参加費】 無料(ただし、入場には常設展示観覧券が必要です)
【参加方法】 当日直接会場にお越し下さい
大阪町あるき―安治川・天保山―
学芸員の解説を聞きながら、安治川・天保山の史跡をめぐります。
【日 時】 平成29年6月11日(日)
午前10時から午後4時
【場 所】 午前:天保山、午後:安治川(西九条~阿波座)
【講 師】 八木滋(大阪歴史博物館 学芸員)
【定 員】 30名(応募者多数の場合は抽選)
【参加費】 500円
【参加方法】 往復ハガキに参加者の住所・氏名(2名まで)・連絡先電話番号を記入の上、下記宛てにお申し込みください。
申込は1枚2名まで、5月18日(木)消印有効です。

(送り先)
〒540-0008 大阪市中央区大手前4-1-32
大阪歴史博物館「安治川・天保山町あるき」係
なにわ歴博講座
展示内容をより深く理解できるように、天保山の歴史を学芸員がわかりやすくお話しします。
【日 時】 平成29年7月14日(金)
午後6時30分から7時45分 (受付:午後6時~)
【テーマ】 「天保山ものがたり」
【会 場】 大阪歴史博物館 4階 講堂
【講 師】 八木滋(大阪歴史博物館 学芸員)
【参加費】 200円(ただし、「キャンパスメンバーズ」会員校の方は、証明証提示により無料)
【参加方法】 当日直接会場にお越し下さい

※イベントの内容は都合により変更される場合があります。ご了承ください。


主な展示資料

展示資料数:約30点
浪花百景 下安治川随見山
浪花百景 下安治川随見山
安政年間 本館蔵

 安治川は、貞享元年(1684)に幕府の命令により、河村瑞賢(かわむらずいけん)が九条島を二つに割るかたちで開削した人工の川です。安治川の両岸には、新しく船が停泊する港ができました。また、安治川の開削によって出た土砂は積み上げられ小山となり、随見(瑞賢・ずいけん)山や目印山とよばれました。
(展示期間:6月21日(水)から7月24日(月)、他期間はパネル展示)

浪花大砂運衣裳附
浪花大砂運衣裳附(なにわおおすなもちいしょうつけ)
天保2年(1831) 本館蔵

 天保2年(1831)に安治川河口の土砂を浚渫する「御救大浚(おすくいおおさらえ)」が行われました。そこで出た土砂を積み上げてできたのが天保山でした。その時、町や株仲間単位などで、大勢の人びとが揃いの衣裳に鉦太鼓を打ち鳴らして、川浚えに参加しました。これは、各町・仲間の衣裳などが一枚刷りにまとめられたものです。

築港建設につき寄付請取証
築港建設につき寄付請取証
明治6年(1873) 本館蔵

 慶応4年(1868)7月15日に大阪は開港し、海外に門戸を開きました。しかし、西洋の大型船が着岸できる岸壁はなく、近代的な築港の建設が急務の課題となりました。そこで大阪の町人たちに広く寄付が募られました。これはその時の寄付の請取証です。しかし、築港建設計画はいったん挫折し、建設工事が始まったのは明治30年(1897)のことでした。