1. ホーム
  2. 展示・イベント
  3. 常設展示
  4. 展示更新情報
  5. 豊臣期大坂の武家屋敷の家紋瓦

豊臣期大坂の武家屋敷の家紋瓦

(H29.2.15更新)

平成29年2月15日(水)~ 5月15日(月)(予定)

豊臣秀吉が築いた大坂城の周辺には、数多くの武家屋敷が設けられていました。しかし、当時の記録が限られているため、どの大名の屋敷がどこにあったのか、必ずしもよくわかっていないのが現状です。そうした中で手掛かりとなるのが、遺跡から出土した家紋瓦です。今回は、井伊氏の屋敷で使われた可能性のある井桁文・橘文の瓦をはじめ、代表的な資料を陳列します。

(豆谷浩之)


井桁(いげた)

井桁(いげた)文飾瓦・橘(たちばな)文飾瓦

大阪城の西部、谷町筋の位置で出土した資料です。この場所では、現在の道路の下に南北方向の土塀跡が見つかり、豊臣秀吉の晩年に大坂城が増築された時の区画施設ではないかと考えられました。井桁文と橘文を使った代表的な大名が井伊氏です。井伊直政は徳川家康の家臣でしたが、豊臣秀吉からも重用され、大坂での活動も知られているので、城下に屋敷を与えられていた可能性があります。

金箔押沢瀉(おもだか)

金箔押沢瀉(おもだか)文飾瓦

大阪市指定文化財
大阪歴史博物館の建設に先立つ発掘調査で出土した資料です。金箔は残っていませんが、下地に塗られた赤漆から金箔押しであったことがわかります。沢瀉文は家紋として使われることもありますが、豊臣秀次が馬印として用いたことが知られています。大坂城大手門に近い位置関係や、秀吉が亡くなる前の時期に屋敷が廃絶している点なども、秀次の屋敷であったことを思わせます。秀次の領地であった近江八幡の秀次館跡でも同種の瓦が出土しています。
フロア / 9階 コーナー / 秀吉のまちづくり
7階フロアマップ