1. ホーム
  2. 展示・イベント
  3. 特集展示
  4. 第122回特集展示「森の宮遺跡と河内地方の縄文土器」

(H30.11.21更新)

第122回 特集展示

森の宮遺跡と河内地方の縄文土器

◆平成31年1月23日(水)~ 3月18日(月)◆

火曜日休館

会場 8階 特集展示室
時間 9:30~17:00
会期中の金曜日は午後8時まで開館
(ただし1月25日を除く)
※入館は閉館30分前まで
観覧料 常設展示観覧料でご覧いただけます
主催 大阪歴史博物館

大阪市中央区に所在するもりみや遺跡は西日本でも最大級の貝塚がある遺跡で、縄文時代中期から古墳時代まで途切れることなく人々の生活が営まれていました。

森の宮遺跡で暮らす人々は、遺跡の西側にある上町台地で獣を狩猟し、東側の河内湾と呼ばれる海で魚介を採集して暮らしていたことがわかっています。同じ頃、河内湾沿岸にはほかにも多くの集落が営まれ、そこに住む人々も集落間で交流を行い、河内湾を生業の場として利用していました。

今回の展示では森の宮遺跡をはじめとする大阪市内の縄文時代遺跡から出土した土器と、大阪歴史博物館が所蔵する河内湾沿岸の縄文時代遺跡出土の土器を展示し、共通する文様から河内湾沿岸で生活していた人々の交流を浮かび上がらせます。

関連行事

学芸員による展示解説
【日 時】 平成31年1月27日(日)、3月3日(日)
いずれも午後2時から30分程度
【会 場】 大阪歴史博物館 8階 特集展示室
【講 師】 松尾 信裕(当館 学芸員)
【参加費】 無料(ただし、入場には常設展示観覧券が必要です)
【参加方法】 当日直接会場へお越し下さい
シンポジウム「河内地域の縄文時代遺跡と縄文土器」
【日 時】 平成31年2月17日(日)
午前10時から午後4時45分(受付:午前9時30分~)
【会 場】 大阪歴史博物館 4階 講堂
【主 催】 大阪歴史博物館、関西縄文文化研究会
【定 員】 250名(当日先着順)
【参加費】 500円
【内 容】 基調報告
10:00~10:40 松尾信裕(当館学芸員)
         「上町台地の縄文時代遺跡の出現と展開」
10:40~11:20 塩山則之氏(交野市教育委員会)
         「河内北部の縄文時代遺跡の出現と展開(仮)」
11:20~12:00 菅原章太氏(東大阪市教育委員会)
         「河内中部の縄文時代遺跡の出現と展開(仮)」
(昼食)
13:00~13:40 大野 薫氏(大阪府立狭山池博物館)
         「河内南部の縄文時代遺跡の出現と展開(仮)」
講演
13:40~15:00 矢野健一氏(立命館大学文学部教授)
         「大阪の縄文土器と縄文時代研究の現状(仮)」
(休憩)
討議
15:20~16:45 司会:矢野健一氏ならびに基調報告者

※イベントの内容は都合により変更される場合があります。ご了承ください。


主な展示資料

展示資料数:17遺跡 73件
元住吉山Ⅰ式土器(縄文時代後期)
元住吉山もとすみよしやまⅠ式土器(縄文時代後期)
大阪市中央区森の宮遺跡出土 大阪文化財研究所保管

 縄文時代後期後半(約3500~4000年前)の元住吉山Ⅰ式土器です。器面全体に文様を施していた前の時期の土器に比べると、文様帯が狭くなり、口縁部と胴部に細い線で文様帯を区画し、その間に縄文を施しています。胴部の文様帯には、結び目を持つ縄文を施しています。次の段階の元住吉山Ⅱ式土器では縄文は消滅しますので、近畿地方では縄文を施す最後の土器です。

押型文土器と撚糸文土器(縄文時代早期)
押型おしがたもん土器と撚糸よりいともん土器(縄文時代早期)
大阪市平野区長原遺跡出土 大阪文化財研究所保管

 外面に小さな楕円形の粒や山形文様のある押型文土器は、近畿地方の編年研究では神宮寺じんぐうじ式土器の次に出現する黄島きじま式土器と呼ばれています。縄文のある土器はそれと一緒に出土した撚糸文土器です。撚糸文とは撚りを掛けた紐を細い棒に巻きつけて、それを転がして文様を施すもので、縄目の粒が直線状に並ぶのが特徴です。この3種類の土器は同じ時代に使われていました。長原遺跡は旧石器時代から人々が暮らし始め、途切れることなく長期間にわたって人々の生活空間だったのです。

穂谷式土器(縄文時代早期)
穂谷 ほたに 式土器(縄文時代早期)
枚方市穂谷遺跡出土 大阪歴史博物館蔵

 穂谷式土器は、北河内地方の考古学研究者、片山長三氏が昭和27年(1952)に発掘調査をされた際に出土した縄文時代早期の押型文土器です。表面に緩やかな振幅の山形文様を施すのが特徴です。口縁部は内面にも同じ文様を施しています。写真下段はハイガイ・アカガイ・サルボウのような二枚貝の外面で土器の表面を削ったもので、縄文時代早期から前期にかけての土器に多く用いられる手法です。
なお、上段左端の土器は、穂谷遺跡出土として寄贈を受けましたが、後の調査で交野市神宮寺遺跡出土の神宮寺式土器と判明しました。

元住吉山Ⅱ式土器(縄文時代後期)
元住吉山Ⅱ式土器(縄文時代後期)
四條畷市 更良 さら 岡山 おかやま 遺跡出土 大阪歴史博物館蔵

 これらの土器は、昭和24年(1949)に片山長三氏によって発掘調査された時に出土した土器群です。右側は近畿地方の縄文土器には類例のない高杯形で、脚部には円形の孔を四方に 穿 うが っています。脚部の裾部は見つかっておらず、どのような形になるのかはわかりません。波状に とが った口縁部の先端には巻貝を押し当てた跡があり、元住吉山Ⅱ式とわかります。左の土器にも巻貝を押し当てた文様があり同じ時期の深鉢形土器です。

長原式土器(縄文時代晩期)
長原式土器(縄文時代晩期)
大阪市平野区長原遺跡出土 大阪文化財研究所保管

 近畿地方の縄文時代晩期の最後の土器です。東日本の縄文土器と違い、縄文を施すものはありません。文様は線を引いたちんせんもんや粘土紐を貼り付けたとったいもんと呼ばれる簡素なものです。長原式土器は突帯文で飾る土器の最終形態で、器形を単純化し、粘土紐を簡単に貼り付け、刻み目も小さくなるなど、土器を作る手間を省いています。長原遺跡ではこれら長原式土器を使った土器棺墓と最初期の弥生土器を使った土器棺墓が同じ墓地から見つかりました。また、長原式土器の中にはもみの圧痕が付いたものがあり、縄文晩期の長原には稲作農耕が伝わっていたと考えられます。