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「近世都市おおさかの食文化」ネット展示

(2020.6.17更新)
肥前産鉄絵向付
大坂城下町跡出土の食膳具・調理具
(17世紀前葉)
大阪市教育委員会蔵

 17世紀前半の大坂では、茶道具・茶懐石における需要から発展した肥前陶器の碗・皿が多く出土します。絵付けのあるもののほか、日用品として使用されたと考えられる無文の器(碗・皿・大皿・鉢など)も多く、肥前からの太い流通ルートがあったことをうかがわせます。写真の資料が出土した調査地(大阪市中央区)では、こうした多量の国産陶器のほか、中国産磁器・漆器・木製しゃもじ・包丁など多彩な資料が出土し、近隣に大きな調理施設があったことを想起させます。
 写真は左より、肥前産鉄絵向付、漆椀、木製ヘラ・包丁です。

住友銅吹所跡出土の中国産磁器蓋付碗・皿
住友銅吹所跡出土の 中国産磁器蓋付碗・皿
(18世紀前葉)
大阪市教育委員会蔵

 有田(佐賀県)で生産が始まった国産磁器は17世紀半ば頃から大坂で流通しはじめますが、中国産磁器なども多く輸入されたようです。同じ器種・文様のものが複数まとまって出土することもあり、住友銅吹所跡(大阪市中央区)では饗応きょうおうのためと考えられる薄手で質の高い磁器が中国産、肥前産ともに複数セットで見つかっています。写真奥は中国の故事登竜門を題材にとり龍と鯉とを内面に描く皿で、銘違いの類似品も含めると54点出土しています。写真手前は外面全体に繊細な植物の文様を配する蓋付碗で、蓋が9点、碗が8点出土しています。 また蓋付碗は同器種、同文様のものが近世大坂の豪商鴻池家に伝わっており(当館蔵)、当時の富裕層の好みをよく表しているといえます。

大阪市内出土のミニチュア土製品
大阪市内出土のミニチュア土製品
(18世紀~19世紀)
大阪市教育委員会蔵

 大坂城下町跡、蔵屋敷跡などではミニチュアの土製品が見つかります。モチーフは人物、動物、建物など多様ですが、写真のように当時の日用品をかたどったものも多く、実物の考古資料との対比ができる資料です。今のフィギュアのように、ほとんどが型をもちいて作られています。飯事ままごと遊びに使われたのでしょうか。石臼・擂鉢・かまど・羽釜などの台所道具、徳利類・皿・碗などがあります。写真左下は魚(タイか?)が乗せられたまな板です。

堂島蔵屋敷跡出土のスッポン背甲
堂島蔵屋敷跡出土のスッポン背甲
(18世紀初頭)
大阪市教育委員会蔵

!骨注意! 堂島蔵屋敷跡(大阪市福島区)では18世紀初頭の遺構に複数のスッポン遺体がまとまって廃棄されていました。本資料はスッポンの背中側の甲羅で、体部分には右下から左上に向かって斜めの切痕が、肋骨部分の先端には甲羅を取り外す際についたと考えられる切断痕がみられます。解体調理の様子を生々しく伝える資料です。17世紀前半の絵図にも調理前のスッポンらしき姿が描かれていることから、江戸時代の早い時期にはスッポン料理が広まっていたのでしょう。

魚市場関連遺跡付近出土のマダイ全身
魚市場関連遺跡付近出土の マダイ全身
(17世紀初頭)
大阪市教育委員会蔵

!骨注意! 大坂城下町にあった魚市場の近隣で出土したマダイの骨です。食べかすではなく、調理されない状態で複数廃棄されており、全身の骨や鱗までもがよく残っています。近世大坂で見つかる魚類は海のものが多く、アジ・サバなど大衆魚、外洋性のマグロやカツオ、北方にすむタラ、大坂の夏に欠かせないハモなど多様ですが、一番多いのはマダイをはじめとするタイ類です。宴会やハレの日の料理には欠かせない食材だったのでしょう。