第134回 特集展示
蒐集家・高島唯峰
―明治期考古学の遺産―
◆令和3年1月13日(水)~ 3月22日(月)◆
火曜日休館、ただし2月23日(火・祝)は開館、2月24日(水)は休館
会場 | 8階 特集展示室 | 時間 | 9:30~17:00 ※入館は閉館30分前まで |
観覧料 | 常設展示観覧料でご覧いただけます |
主催 | 大阪歴史博物館 |
大阪歴史博物館では、令和3年1月13日(水)から3月22日(月)まで、8階特集展示室において、特集展示「蒐集家・高島唯峰―明治期考古学の遺産―」を開催します。
明治時代、日本の考古学はまだ古物趣味や珍品目当ての蒐集などと未分化な状態にありました。高島多米治(1866-1960、号:唯峰)は、そんな時代に関東地方を中心に採集活動を行った人物です。
高島は東京銀座で歯科医を営むかたわら、縄文時代の貝塚出土品を収集・蒐集することに熱中していました。時には東北地方にまで足を運んでいたようです。いまとなっては彼が集めた出土品の正確な数を知ることは難しくなってしまいましたが、およそ1万点に届くとみられます。現在、そのうちの約7千点が大阪歴史博物館に収められています。
なぜ高島が集めた関東や東北地方の蒐集品が大阪にあるのでしょうか。そこには滋賀県長浜市にあった鍾秀館(下郷共済会)という大正時代の私立博物館が深くかかわっていました。
今回の展示は、高島が行った採集活動をその遺品から探るとともに、彼のコレクションがたどった経過、さらにはコレクション研究の現状を紹介するものです。
主な展示資料
展示資料数:約200点(うち重要文化財1点、重要美術品3点含む) | |
---|---|
|
|
19歳で渡米した高島は、明治35年(1902)に帰国し、翌年東京人類学会に入会します。東京人類学会は学者・研究者のみならず、さまざまな経歴の会員から構成されており、定期的に遠足会と称した現地踏査を行っていました。堀之内貝塚はその記念すべき第一回目(明治37年)の場所となった貝塚で、高島も参加していました。コレクションに残されていた堀之内貝塚からの採集品は少なく、繰り返し訪れた様子もないことから、この遠足会で採集された可能性が高いと考えられます。 |
|
|
|
里浜貝塚は、松島湾の宮戸島に所在し、大正7年(1918)に東北帝国大学の松本彦七郎によって最初の学術的な発掘調査が行われました。高島はその調査の10年ほど前に里浜貝塚を訪れていたとみられます。この装飾具は、その際得られた多数の骨角器のひとつです。用途は不明ですが、合計4か所の孔が開けられているため、何かに固定して使われたことがうかがえます。また表面には朱と思われる赤い顔料が付着しています。 |
|
|
|
高島がもっとも頻繁に訪れた遺跡は、千葉県余山貝塚、茨城県福田貝塚、そしてこの椎塚貝塚でした。遺跡は霞ケ浦の南岸を北流する小野川の右岸に位置します。明治26年(1893)に八木奘三郎らによって最初の調査が行われました。 |
|
|
|
椎塚貝塚の近くにある福田貝塚も高島お気に入りの場所でした。しかも『人類学雑誌』には高島の手による4編の短文が掲載されています。 |