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(2020.11.13更新)

第134回 特集展示

蒐集しゅうしゅう家・高島たかしま唯峰ゆいほう
―明治期考古学の遺産―

◆令和3年1月13日(水)~ 3月22日(月)◆

火曜日休館、ただし2月23日(火・祝)は開館、2月24日(水)は休館

会場 8階 特集展示室
時間 9:30~17:00
※入館は閉館30分前まで
観覧料 常設展示観覧料でご覧いただけます
主催 大阪歴史博物館

大阪歴史博物館では、令和3年1月13日(水)から3月22日(月)まで、8階特集展示室において、特集展示「蒐集家・高島唯峰―明治期考古学の遺産―」を開催します。

明治時代、日本の考古学はまだ古物趣味や珍品目当ての蒐集などと未分化な状態にありました。高島多米治ためじ(1866-1960、号:唯峰)は、そんな時代に関東地方を中心に採集活動を行った人物です。

高島は東京銀座で歯科医を営むかたわら、縄文時代の貝塚出土品を収集・蒐集することに熱中していました。時には東北地方にまで足を運んでいたようです。いまとなっては彼が集めた出土品の正確な数を知ることは難しくなってしまいましたが、およそ1万点に届くとみられます。現在、そのうちの約7千点が大阪歴史博物館に収められています。

なぜ高島が集めた関東や東北地方の蒐集品が大阪にあるのでしょうか。そこには滋賀県長浜市にあった鍾秀館しょうしゅうかん下郷しもごう共済会)という大正時代の私立博物館が深くかかわっていました。

今回の展示は、高島が行った採集活動をその遺品から探るとともに、彼のコレクションがたどった経過、さらにはコレクション研究の現状を紹介するものです。


主な展示資料

展示資料数:約200点(うち重要文化財1点、重要美術品3点含む)
深鉢形土器
深鉢形ふかばちがた土器
千葉県市川市堀之内ほりのうち貝塚
縄文時代後期前半
大阪歴史博物館蔵

19歳で渡米した高島は、明治35年(1902)に帰国し、翌年東京人類学会に入会します。東京人類学会は学者・研究者のみならず、さまざまな経歴の会員から構成されており、定期的に遠足会と称した現地踏査を行っていました。堀之内貝塚はその記念すべき第一回目(明治37年)の場所となった貝塚で、高島も参加していました。コレクションに残されていた堀之内貝塚からの採集品は少なく、繰り返し訪れた様子もないことから、この遠足会で採集された可能性が高いと考えられます。

鹿角製装飾具
鹿角製ろっかくせい装飾具【重要美術品】
宮城県東松島市里浜さとはま貝塚
縄文時代後期末~晩期(紀元前1000年)
(公財)辰馬考古資料館蔵

里浜貝塚は、松島湾の宮戸島みやとじまに所在し、大正7年(1918)に東北帝国大学の松本彦七郎ひこしちろうによって最初の学術的な発掘調査が行われました。高島はその調査の10年ほど前に里浜貝塚を訪れていたとみられます。この装飾具は、その際得られた多数の骨角器のひとつです。用途は不明ですが、合計4か所の孔が開けられているため、何かに固定して使われたことがうかがえます。また表面には朱と思われる赤い顔料が付着しています。

山形土偶
山形土偶
茨城県稲敷市椎塚しいづか貝塚
縄文時代後期後半(紀元前1800年)
大阪歴史博物館蔵

高島がもっとも頻繁に訪れた遺跡は、千葉県余山よやま貝塚、茨城県福田貝塚、そしてこの椎塚貝塚でした。遺跡は霞ケ浦の南岸を北流する小野川の右岸に位置します。明治26年(1893)に八木奘三郎そうざぶろうらによって最初の調査が行われました。
 高島は、明治39年(1906)を皮切りに3年間で合計5回にわたって訪れ、多くの採集品を得ています。また、東京人類学会の機関誌『人類学雑誌』に椎塚貝塚に関する短文を投稿するなど、思い入れのある遺跡だったとみられます。
 ちなみに山形土偶という名称は、頭部の形状が山のような三角形を呈することからつけられています。東北地方からもたらされた結髪タイプのものが、略化変形してできあがったと考えられます。

人面装飾付注口土器
人面装飾付注口ちゅうこう土器【重要文化財】 
茨城県稲敷市福田貝塚
縄文時代後期末~晩期初頭(紀元前1000年)
(公財)辰馬考古資料館蔵

椎塚貝塚の近くにある福田貝塚も高島お気に入りの場所でした。しかも『人類学雑誌』には高島の手による4編の短文が掲載されています。
 高島はたびたび自身の蒐集品を展示していましたが、この土器も、明治43年(1910)に東京帝国大学人類学教室において開催された「石器時代土偶研究展覧会」へ出品していたことが、同展覧会の様子を報じる『東京人類学会雑誌』からわかります。
 大正11年(1922)、高島の蒐集品は滋賀県長浜の下郷共済会へ売却されました。下郷共済会では、地域史の普及啓発に力をいれており、図書館や展示施設の建設を進めていました。この展示施設「鍾秀館」に展示する資料として、高島の蒐集品が購入されたとみられます。下郷共済会が昭和2年(1927)に発行した『石器時代土器選集』でも、この注口土器が展示されている様子が確認できます。