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疫病退散の祈り

(2020.6.26更新)

2020年7月1日(水)~9月28日(月)(予定)

人類の歴史は疫病の流行とともにありました。常設展示室10・9・7階にて、各時代の疫病除け・魔除けに関する資料を展示いたします。これらの資料から、人々がどのように疫病と付き合ってきたのかをみていきます。


10階 難波京の風景
【人面墨画土器】
人面墨画土器
人面墨画土器
(天王寺区上本町遺跡出土)
大阪市教育委員会蔵

人面墨画土器は、古代の都城や官衙かんが周辺の川や溝で見つかる祭祀用の土器です。土器の外面に複数の人面が描かれ、この顔は疫神えきじんだという説もあります。当時の人々は病気の原因を疫神やケガレに求めました。土器を川や溝に流すことで、病気をはらおうとしたと考えられます。奈良時代には疫病が流行し、人口の多い都市部に大きな被害をもたらしました。今回紹介する土器は奈良時代の難波京の周辺部と中心で見つかったものです。今から1,300年前の人々の病気への恐れを示す資料といえるでしょう。(村元)


9階 町人の文化
【松下虎図】
ユネスコ世界記憶遺産 松下虎図
※展示期間:7月1日~7月27日
ユネスコ世界記憶遺産 松下虎図 卞璞筆
大阪歴史博物館蔵(辛基秀コレクション)

朝鮮通信使の船乗りだった 卞璞ピョンバックが宝暦14年(1764)3月、通信使が江戸訪問を終えて戻る途中、現在の神奈川県大磯で昼の休憩をとった際に描いたもの。虎は朝鮮では絶対的な力の象徴で、悪を追い払う守り神とされました。特にその爪は魔除けの御利益があると大事にされたそうです。
 なお日本には虎がいなかったため、通信使が持参した贈答品に含まれた虎皮は日本で大いに珍重されました。(大澤)

9階 大坂の幕末・維新
【疫病と民間信仰】
瘡神宮護符
瘡神宮護符
大阪歴史博物館蔵

堺に近接する湊村(現堺市堺区西湊町)の瘡神宮かさかみぐうのお札です。村の記録によると、もとは空き地に置かれた祠だったのが、寛永11年(1634)に村人の治右衛門が「ヒゼン瘡」(梅毒)を患い瘡神へ願ったところ、たちまち回復、少彦名すくなひこなの社を取り立てたといいます。男女を問わず瘡病患者が参詣し、大坂の道頓堀に遙拝所ができるほどでした。祭神は、国造りをおこない、病の治療法を定めたという少彦名命ですが、このお札には中国の神である神農しんのう が描かれており、人身でありながら牛首で、ツノがあります。神農は諸草をなめて医薬を作ったと伝えられ、国内でも医学・薬学の神として信仰を集めました。(島﨑)

願懸重宝記
願懸重宝記
大阪歴史博物館蔵

著者は歌舞伎作者でもある濱松歌国はままつうたくに(1776~1827)。疱瘡ほうそうをはじめ、願いごとや、病気、歯痛等の回復に霊験あらたかなパワースポットを紹介しています。種痘による予防法が確立されていない当時、疱瘡の予防と治療に強い関心が寄せられていたことがうかがえます。(島﨑)


7階 都市の民間信仰
【郷土玩具にみる疫病除けの祈り】
大阪張子 神農の虎
大阪張子 神農の虎
大阪歴史博物館蔵

大阪市中央区道修町の少彦名神社では、11月22・23日に行われる神農祭で張子の「神虎」が配られます。文政5年(1822)、大坂でコレラが流行した際に神農祭は盛んとなり、薬種仲間が「 虎頭殺鬼雄黄圓ことうさっきうおうえん」という疫病除けの丸薬を神虎とともに配ったことに由来するといわれています。(俵)

大阪張子 達磨(猩々)
大阪張子 達磨(猩々しょうじょう)
大阪歴史博物館蔵

郷土玩具のなかには、全体が赤く塗られた赤物あかもの玩具と呼ばれるものがあります。これには、天然痘を引き起こす疱瘡神を、赤色の持つ呪力で遠ざけようとする信仰が関係しています。猩々は赤い体毛を持ち、酒を好む想像上の生物です。体色が赤いというところから、疫病除けの効験も期待されました。(俵)

フロア / 10階 コーナー / 難波京の風景
10階フロアマップ

フロア / 9階 コーナー / 町人の文化 / 大阪の幕末・維新
9階フロアマップ

フロア / 7階 コーナー / 都市の民間信仰
7階フロアマップ