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徳川大坂城400年 ―なにわの人々は錦城きんじょうをどうみたか―

(2020.11.27更新)

2020年12月9日(水)~2021年2月15日(月)
※一部、展示替えがあります。


 大阪歴史博物館では、常設展示室9階・近世フロア内において「徳川大坂城400年―なにわの人々は錦城をどうみたか―」を開催します。常設展示観覧料でご覧いただけます。

今年は元和6年(1620)の江戸幕府による大坂城再築工事の開始からちょうど400年にあたる記念の年となります。江戸時代の大坂といえば「天下の台所」、「商人の町」と説明されることが多いですが、武士もまた大坂にとって重要な存在でした。その大坂で武士が拠点とした大坂城は、社会のなかでどのような意味を持ったのでしょうか。今回は、江戸時代に「錦城」と呼ばれ人びとに親しまれた大坂城を、さまざまな観点からご紹介します。この機会にぜひご観覧ください。

(島﨑未央・岡本健)

大坂城普請丁場割之図
大坂城普請ふしん丁場ちょうば割之図わりのず
江戸時代
大阪府立中之島図書館蔵

慶長20年(1615)の豊臣大坂城落城後、元和6年(1620)に徳川幕府が着手した再築工事は、断続的に、十数年間にわたって実施されました。やぐらや門の構築は幕府直営で行われましたが、石垣と堀の構築と補修はおもに北国ほっこく西国さいごくの大名六十数家に持ち場が割り当てられ、各大名は石の調達から労働力の動員まで負担しました。この絵図には、大名らの普請の分担箇所が詳細に記載されています。

大坂城跡本丸内出土三葉葵文鬼瓦
【大阪市指定文化財】
大坂城跡本丸内ほんまるない出土三葉葵文みつばあおいもん鬼瓦おにかわら
江戸時代
大阪市教育委員会蔵

大坂城天守の南東、金蔵きんぞうの東側で行われた発掘調査で出土した鬼瓦です。徳川氏の家紋である三葉葵文を意匠としており、将軍家の威信を示しています。徳川大坂城の本丸内にあった建物の屋根を飾り、その廃絶や改修に伴って土坑どこうに廃棄されたと考えられるものです。裏面に「貮」の字がヘラ書きされており、この瓦を葺く位置を記した符号とみられます。

大坂城乾櫓所用「元和六年」銘輪違瓦
大坂城乾櫓いぬいやぐら所用しょよう元和げんな六年」銘輪違瓦めいわちがいかわら
元和6年(1620)
大阪城天守閣蔵

大坂城西の丸の北西隅に位置する乾櫓を解体修理した際に発見された輪違瓦です。輪違瓦とは、建物の棟を装飾する目的で製作された瓦の一種で、屋根に葺くと半円が交互に重なったような意匠になります。「元和六年 甲ノ九月吉日 ふかくさ 作十郎」の銘文がヘラ書きされており、元和6年(1620)の徳川氏による大坂城再築当初の瓦とわかります。さらに、深草(現在の京都市伏見区深草)の工人が瓦を供給したことがわかります。

大坂城番の御用宿の記録
大坂城番じょうばん御用宿ごようやどの記録
文政2年(1819)
本館蔵

堺筋南久太郎町(現久太郎町一丁目)の小山忠兵衛家が残した記録です。大坂城を警衛する武士の中には任期が1年の部隊があり、毎年8月に交代しました。前任者が城内の屋敷を明け渡すまで、後任は大坂城に近い上町と船場に滞在したため、下働きも含めると、総勢千人を超える規模の武士が町方に宿泊しました。記録には、食事の献立や貸し出した寝具、来坂してからの宿泊者の行動が記録されています。

浪花百景のうち筋鐘御門 国員画
※展示期間:12月9日(水)~1月11日(月・祝)
浪花百景のうち筋鐘御門すじがねごもん
国員くにかず
江戸時代
本館蔵

幕末期に刊行された、大坂の歌川派絵師3人の合作による錦絵『浪花百景』の一枚です。大坂城の北側の外堀と寝屋川に挟まれた曲輪くるわである三の丸の西の入り口が、画面左手の筋鉄門すじがねもんです。扉が筋鉄張りだったことからこの呼称がつきました。当時、この門は四と九の日に開放されており、城外の北東側に位置する鴫野しぎの村の淀姫神社(弁財天)に詣でる近道だったため、市中の人々も往来する門として親しまれました。画中には城を見上げる人や、武士、西洋式銃剣を持つ兵士らが行き交う様子が描かれます。

戊辰戦記絵巻 第四巻
戊辰戦記絵巻 第四巻
明治24年(1891)
本館蔵

慶応4年(1868)の戊辰戦争を記憶に残すために企画・作成された絵巻です。旧幕府軍の敗報を知った元将軍徳川慶喜よしのぶが重臣を連れて慶応4年(1868)1月6日夜に大坂城を脱出後、あるじを失った大坂城中は大混乱に陥ります。1月9日に到着した新政府軍の先遣隊せんけんたいが砲撃を開始し、白旗を挙げた幕府方と城の明け渡し交渉を行っている最中、本丸御殿の台所から出火、翌10日には青屋口あおやぐち付近の火薬庫が爆発し、城中の主要な建物のほとんどが焼失します。この場面は火事の直後に征討大将軍せいとうだいしょうぐん仁和寺宮にんなじのみや嘉彰よしあき親王しんのうが入城し、未だ煙がくすぶる天守台ににしき御旗みはたを掲げ、着座する様子を描いています。

フロア / 9階 コーナー / まちの生活
9階フロアマップ

関連事業

大阪市立大学・大阪市博物館機構・大阪市文化財協会 包括連携協定企画
博学連携シンポジウム 徳川大坂城400年

日 時 令和3(2021)年1月24日(日)
10時20分~16時45分(受付:9時40分より)
場 所 大阪歴史博物館 4階 講堂

徳川大坂城の築城は、元和6年(1620)に始められました。その400年を記念して、第一線の研究者を集め、最新の研究や地質・発掘調査の成果を紹介するシンポジウムを開催します。詳しくは、後日大阪市博物館機構のホームページにてお知らせします。