(2022.4.27更新)
第143回 特集展示
戦争と福祉・ボランティア
-田中半治郎の遺品から-
◆令和4年 6月29日(水)~ 9月5日(月)◆
火曜日休館
大阪歴史博物館では令和4年6月29日(水)から9月5日(月)まで、8階特集展示室において、特集展示「戦争と福祉・ボランティア-田中半治郎の遺品から-」を開催します。
人は様々な動機やきっかけでボランティア活動をしています。そうしたきっかけの代表的なものとして、阪神淡路大震災や東日本大震災のような災害やオリンピックなどのイベントをあげることができますが、本展示では、戦争体験がボランティア活動の契機となることを紹介します。
大阪歴史博物館は、陸軍歩兵第八聯隊入営中に日露戦争に従軍し、大正期には現在の民生委員に相当する方面委員をつとめた田中半治郎(1882~1930)という人物の遺品を所蔵しています。方面委員は、無給で生活困窮者の救済活動に従事するボランティアでした。
本展示では、田中の遺品にもとづいて、田中が人生のさまざまな局面で、何を思い、考え、行動したのか、について考えます。その結果、田中の人生にとって軍隊内で積み上げた経歴(軍歴)が大きな意味を持っていたことを確認します。さらに、方面委員としての田中の活動を理解する上で、日露戦争中の戦争体験が重要であることを明らかにしていきます。
主な展示資料
展示資料点数:約40点 |
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- 日露戦闘日誌
- 明治37~38年(1904~1905)
大阪歴史博物館蔵(池田啓子氏寄贈)
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田中は日露戦争従軍中の経験を三冊の日誌にまとめています。この日誌は、明治37年4月23日の出国から奉天占領一週間後の同38年3月17日にかけての事項をまとめたものです。この期間は最も戦闘が激しかった時期で、田中は南山、遼陽、奉天の各会戦の模様を万年筆で清書しています。同38年5月28日には、二日前の南山会戦で戦死した戦友芝中盛一郎を「徒手」(素手)で埋葬したと書いてあります。
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- 田中祖母軍事郵便
- 明治38年(1905)
大阪歴史博物館蔵(池田啓子氏寄贈)
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田中半治郎の祖母が日露戦争従軍中の田中宛に出した葉書です。「相かわらず神様へいのって居り升、早う平和になり、御かへりなさるのを待て居り升」とあり、帰国を待ち望む祖母の姿が目に浮かぶようです。この葉書は祖母と同居する田中福二郎が代筆したものでした。文字を書けなかった祖母からの葉書を読んで、田中は何を思ったのでしょうか。
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- 明治三十七八年役紀年賞状函
- 大阪歴史博物館蔵(池田啓子氏寄贈)
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田中の遺品は、二つの木箱に収納されていました。これはそのうちの一つです。日露戦争従軍を機に授与された賞状類を収納するために作成されたもので、蓋上部に「明治三十七八年役紀念賞状函」と墨書されています。日露戦争従軍という経験が、田中の人生のなかでいかに重要な意味を持っていたのかが、うかがえます。 |
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- 大阪府方面委員手帳
- 大正8~12年(1919~1923)
大阪歴史博物館蔵(池田啓子氏寄贈)
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大阪府から方面委員に支給された手帳で、大正8年に方面委員に任命された田中が使用していたものです。田中が調査した生活困窮者の生活状態などが記されています。特に、働き手が軍隊に入営したことが原因で困窮した世帯の生活状態について詳しく記されています。田中が、そうした世帯の救済に強い関心を持っていたことがわかります。
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