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異界彷徨 ―怪異・祈り・生と死―
(R5.6.22更新)
展示資料
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天狗てんぐ

江戸時代後期~明治時代
大阪歴史博物館蔵(中尾 堅一郎氏寄贈)

天狗像

中国では、凶兆を示す流星を天狗といいました。日本では、仏敵であり、飛行能力をもつ有翼の障魔しょうまとなり、さらに山中での怪異や山神信仰、修験道における山伏などの性格が習合し、中世以降、さまざまな天狗がうまれました。
 画面には赤い大天狗と青い小天狗が向かいあい、その足元には水が流れています。さらにその奥には、羽団扇と巻物を持つ天狗が坐しています。天狗が持物じもつとして巻物を持つ例はあまりみられず、巻物が描かれた理由はわかりません。しかし、修験道の開祖ともされる役行者えんのぎょうじゃの持物に錫杖しゃくじょう独鈷杵どっこしょのほかに経巻があることから、山岳仏教との関係性が想像できます。


朱鍾馗しゅしょうき

丹羽にわ桃渓とうけい
文化8年(1811)
大阪歴史博物館蔵(松村 恭一氏寄贈)

朱鍾馗図

鍾馗は、病魔を祓うとされる神です。病に苦しむ唐の皇帝・玄宗げんそうの夢中にあらわれ、疫鬼えききを食い殺しました。目覚めると玄宗の病は癒え、以降その姿を描くようになったとの故事に由来します。
 日本にもこの習俗が伝わり、厄除けとして鍾馗図が飾られました。「朱鍾馗」は退魔の呪力をはらむ赤色で鍾馗を描く画題です。後ろを振り返る鍾馗の左手には小鬼が捕らえられ、叫ぶかのように大口を開けています。右下には「辛未しんび端午たんご」とあるので、この絵は端午の節句に飾られたのでしょう。作者の丹羽桃渓(1760~1822)は江戸時代の大坂で活躍した絵師で、『摂津名所図会』の挿絵を描いたことでも知られています。


願懸がんかけ重宝記ちょうほうき

文化13年(1816)
大阪歴史博物館蔵

願懸重宝記
写真左:見返し 右:ページ内挿絵

濱松はままつ歌国うたくに(1776~1827)の著書で、大坂や周辺地域における病気平癒へいゆや諸願成就に霊験ある神仏と祈念の方法などをまとめた本です。
「十二 目神めがみ八幡宮はちまんぐう立願の事」の項には、「北埜きたの目神の八まん宮ハ眼病を平癒なさしめ給ふ」とあります。挿絵では、右の男性が「目が痛む」と悩んでいると、左の男性が「私は平癒したお礼参りだ」と返し、その手には鳩の土人形が握られています。「御礼には土の鳩を献ず」とありますが、鳩は八幡神の神使しんしとされ、報恩のために献上したのでしょう。ほかにも疱瘡ほうそう痔疾じしつの平癒、厄除け、商売繁盛などの霊験が記載され、近世大坂における庶民の現世げんせ利益りやく信仰をありありと物語ります。


守刀まもりがたな守袋まもりぶくろ

江戸時代後期~明治時代
大阪歴史博物館蔵(鴻池 善右衞門氏寄贈)

守刀・守袋

大坂の豪商・鴻池こうのいけ家に伝来した婚礼道具のうち、刀掛けである「守掛まもりかけ」一式に含まれていた守刀と守袋です。
 守刀は魔除けのための刀剣で、結婚に際し、花嫁にこれを持たせるという風習がみられます。古くから刀剣には退魔の力があると信じられており、鉄の持つ霊力と刃の切断力を呪力の根幹としています。守袋は護符を入れる小型の袋で、こちらも災害や病気などを避けるためのものです。宮参りの際、赤ん坊に降りかかる災いを避けるべく、守刀に守袋を下げて携行するなど、両者は取りあわせられることも多いものです。刀を入れる袋と守袋には吉祥文様である宝尽くしの模様が施され、厄除けの意だけでなく、婚礼の喜びも感じとれます。


地こく変

すが 楯彦たてひこ
明治41年(1908)
大阪歴史博物館蔵

地こく変(部分)
(部分)

重い罪を背負った者は死後、地獄道に堕とされ永遠に責め苦を味わう。この恐怖を描いたのが地獄図であり、悪行を戒め善行に励むよう諭す意味合いもありました。一方で、冥界への想像力が人びとの興味を掻きたてたことも事実です。地こく変(地獄変)は、近代大阪で活躍した画家・菅楯彦(1878~1963)が明治41年に高野山を訪ねた折に描いたもので、箱書きには「同行の二童子にたわむれに書き与へるものなり」とあります。
 この場面では、獄卒ごくそつが連れてきた亡者を、閻魔えんまおうが身を乗り出し喝破しています。その左では、獄卒が亡者を掴み、生前の悪行を写す浄玻璃じょうはりのかがみの前に突き出しています。全体が戯画的に描かれ、地獄の裁きという戦慄の光景にも関わらず、どこか親しみのある絵となっています。

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