難波宮の発見と保存運動に尽力された山根徳太郎博士の命日によせ、古代難波をテーマとする講演会を開催します。難波宮に関心のある方も、初めて知ったという方も、多くのご参加をお待ちしています。
(地独法)大阪市博物館機構・(一財)大阪市文化財協会連携事業 「なにわの日」講演会 |
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日 時 | 令和元年7月28日(日) 午後2時から4時(受付は1時30分から) |
内 容 |
①前期難波宮の歴史的位置 ②難波宮の記憶-難波宮はいかに忘れ去られ、いかに思い出されたか- |
会 場 | 大阪歴史博物館 4階 講堂 交通のご案内 |
定 員 | 250名(当日先着順) | 参 加 費 | 300円 ※キャンパスメンバーズ会員校の方は、証明証提示により本講座に無料で参加できます。 |
参加方法 | 直接会場にお越し下さい。 |
主 催 | 大阪歴史博物館・一般財団法人大阪市文化財協会 |
問 合 せ | 大阪歴史博物館 〒540-0008 大阪市中央区大手前4丁目1番32号 |
① 前期難波宮の歴史的位置
前期難波宮は、日本古代の律令制都城の原点といえます。南北に中軸線を設ける構造、正殿の在り方など、中国都城の設計を導入しながらも、建物は瓦葺きではなく、朝堂院や宮城の概念などでは日本独自の宮城を建設しました。古代史における前期難波宮の位置づけを考えます。 ② 難波宮の記憶-難波宮はいかに忘れ去られ、いかに思い出されたか-
難波宮は、第2次世界大戦後に、山根徳太郎氏によって「発見」されました。難波に都が存在していたことは、さまざまな文献に記載され、考証もおこなわれてきましたが、実際に「どこにあったのか」という記憶が、時間とともに失われていったのです。廃絶後の難波宮の記憶が、どのように希薄となり、どのように掘り起こされていったのかを、時代を追って振り返ります。 |