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看板コレクション

(H27.4.29更新)
看板は商工業がさかんとなる江戸時代に一般の商店で広く掲げられるようになった。元禄年間以降は、遠くからでも目につくように大型のものや、漆塗りや金銀箔押しなど豪華なものが作られるようになり、幕府の取り締まりの対象となるようなものも登場した。明治時代以降は、経済の発展にともなって、素材・デザインともに多様化が進み、ペンキを使った文字看板も登場するなど、世相を反映した個性豊かな看板が街角にあふれていた。
当館には、大阪市立博物館の時代から購入・寄贈により収集してきた看板類が約50点ほどあり、大阪の商業や都市文化を物語る資料として館蔵品の重要な柱のひとつを構成している。ここでは、館蔵の看板コレクションのなかから、特徴的なものを取り上げて紹介する。(伊藤廣之)
乾物屋看板

乾物屋看板

江戸時代

張り子で実物大の鮭の姿をつくり、紐で吊せるようにした看板である。看板には多様な形式のものがあるが、これは商品の姿を実寸大の模造品にして表現したものである。乾物屋の看板は、文字看板が多く知られており、このような張り子による模造品形式の看板は珍しい例といえる。
薬屋看板

薬屋看板(風邪薬) 池大雅筆

江戸時代

池大雅(いけのたいが)の墨書をもとにつくられた薬屋看板。この店は京都の縄手通三条の大和橋近くにあった薬屋(井上泰山)で、明治9年発行の「京都売薬盛大鑑」には「赤万能膏」の店として紹介されている。池大雅がこの薬屋に宿泊したとき、店の主人の求めに応じて書いたとされる「風薬のんでなをらぬ風の薬」というキャッチコピーがユーモアに富み、おもしろい。これは「他の風邪薬を飲んで治らない時にこの風邪薬を飲めば即ちに治る」という意味らしい。『画家逸事談』(明治36年)に、そのことが記されている。看板のコレクターとして知られる杉浦丘園の旧蔵品である。
時計店看板

時計店看板

明治時代 木下徹郎氏寄贈

道頓堀にあった足立時計舗の看板。『大阪営業案内』(明治33年)によると、足立時計舗は各国時計のほか貴金属製品なども扱う店であった。看板は白っぽい色のペンキで塗装されており、そこに柱時計を抱く着物姿の女性が描かれている。アルファベットの文字も取り入れられており、近代になって道頓堀に登場した洋風看板の雰囲気をよく物語っている。