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「東大寺大仏殿」銘軒丸瓦、梵字文軒平瓦

(H26.6.25更新)

平成20年11月26日(水)~(予定)

「東大寺大仏殿」銘軒丸瓦
「東大寺大仏殿」銘軒丸瓦
■「東大寺大仏殿」銘軒丸瓦(左)とその拓本(右)
胎蔵界たいぞうかい大日如来だいにちにょらい盧舎那仏るしゃなぶつを表す梵字ぼんじ「ア」の周囲に「東大寺大仏殿」という文字を入れた鎌倉時代初め頃の軒丸瓦です。外周には福弁蓮華文を配置し、さらに外側には珠文を巡らしています。このような瓦は東大寺で用いられているのに加え、岡山県瀬戸町の万富瓦窯などでも例があります。中央区平野町一丁目で、東横堀川から約100m西の発掘調査で出土しました。
梵字文軒平瓦
梵字文軒平瓦
■梵字文軒平瓦(上)とその拓本(下)
瓦当に梵字の文様がある中世の軒平瓦です。梵字とは古代インドの文字を原型としていて、日本では五輪塔や仏教絵画などに用いられることが多いです。この瓦の梵字は本来のものと比べると形が崩れていて、梵字をあまり理解していない人が作ったのかもしれません。中央区内平野町三丁目で、東横堀川から約100m東の発掘調査で、中世の土器・陶磁器とともに出土しました。

大阪市中央区を二分する東横堀川の両岸やそれと接する大川沿岸では、発掘調査でしばしば中世の遺物が出土します。この辺りは文献によると「渡辺わたなべ」と呼ばれていて、「浄土堂じょうどどう」や「薬師堂やくしどう」といった寺院があったとされています。鎌倉時代に東大寺を復興した重源は西日本に7箇所の復興の拠点として別所(本寺から離れたところにある僧の滞在場所)を置きましたが、渡辺はその別所のひとつです。ここでは山陽道諸国から瀬戸内海を通じて運ばれてきた東大寺再建のための材木を上げたという鎌倉時代の記録があり、「東大寺大仏殿」銘の軒丸瓦が出土するのもうなずけます。

なお、1階エントランスでは最近発見された鎌倉時代の宝篋印塔についての写真パネル展を催しています。あわせてご覧下さい。

フロア / 9階 コーナー / 並び立つ中世都市
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