難波は古代倭王権の対外交渉の窓口として発展し、外交儀礼を行う難波大郡(なにわのおおごおり)や、朝鮮諸国や中国の使節が滞在する館(むろつみ)が存在したことが『日本書紀(にほんしょき)』に記されています。それを証するように、難波宮周辺では朝鮮半島から運ばれた土器が多く出土しています。今回展示する土器は6世紀前半頃のもので、慶尚南道北西部から慶尚北道南西部、すなわち大加耶(だいかや)という政治勢力の領域でよく見られます。こういった資料によって、難波を舞台とした対外交渉の具体像を知ることができます。
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