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  5. 第61回特集展示「難波遷都-大化改新がもたらした難波の変化-」

(H25.7.17更新)

第61回 特集展示

難波遷都なにわせんと
大化改新 たいかのかいしんがもたらした難波なにわの変化-

◆ 平成21年 6月17日(水)~8月31日(月) ◆
毎週火曜日休館(祝日の場合は翌日休)
会場
8階 特集展示室
時間
9:30~17:00(金曜は20:00まで)
※入館は閉館30分前まで
観覧料
常設展示観覧料でご覧になれます
主催
大阪歴史博物館

大阪歴史博物館では、平成21年6月17日(水)から8月31日(月)まで、常設展示室8階の特集展示室において、特集展示「難波遷都-大化改新がもたらした難波の変化-」を開催します。

難波なにわは古くから外交の窓口として発展し、倭王権にとって欠かすことができない重要な地域でした。その難波は、645年に絶大な権力をもっていた蘇我本宗家そがほんそうけが滅ぼされた乙巳いっしへんの後、孝徳こうとく天皇によって飛鳥から難波への遷都が敢行され、都となります。652年に完成する宮殿(難波長柄豊碕宮なにわながらとよさきのみや)は、明確な中軸線ちゅうじくせんと広大な朝堂院ちょうどういんを有する日本の歴史上初めての本格的な宮殿として知られています。

この難波遷都は宮殿の建築だけでなく、さまざまな形で難波に、さらには上町うえまち台地全域に開発の波をもたらしました。この展示では、古代難波の発展過程を知ることのできる考古資料から、「1.遷都前夜-外交の窓口、難波-」、「2.遷都に伴う開発」、「3.変わりゆく上町台地」、「4.最新の調査研究成果-前期難波宮東方官衙とうほうかんがについて-」の4部で構成します。特に、外交使節がもたらした新羅しらぎ百済くだら加耶かやの土器や、遷都に伴う開発で破壊された古墳の遺物(水晶製三輪玉すいしょうせいみわだまなどの装飾品、各種埴輪はにわ陶棺とうかん)を一堂に集めるなど、あまり知られることのなかった古代の難波に係る考古資料を約150点展示します。

展示を通じて、難波宮やその周辺部、さらには上町台地全体における発掘調査成果を披露するとともに、大阪の都市としての歴史の出発点であった難波遷都の意義を伝えることができることと思います。


期間中の関連行事

『難波遷都セミナー』

特集展示に関連したいくつかの話題を取り上げ、学芸員が大画面で写真を用いながら、わかりやすく語る講座です。

第1回 6月27日(土) 寺井誠(当館学芸員)
「外交の窓口、難波」
第2回 7月 4日(土) 宮本佐知子(財団法人大阪市文化財協会学芸員)
「難波を飾るいらか
第3回 7月11日(土) 寺井誠(当館学芸員)
「難波遷都と開発」
第4回 7月18日(土) 高橋工(財団法人大阪市文化財協会学芸員)
「難波宮東方官衙とうほうかんがについて―最近の発掘調査成果より―
【主催】 大阪歴史博物館
【会場】 大阪歴史博物館 4階 第1研修室
【時間】 第1・2・4回は午後2時~4時
第3回のみ午前10時~12時
【定員】 50名(事前申込み制。応募多数の場合は抽選)
※4回とも受講できる方に限ります。
【参加費】 1,000円(資料代を含む)
【参加方法】 往復はがきに、氏名・住所・連絡先電話番号、返信用はがきの宛先を明記の上、お申し込みください。
  〒540-0008 大阪市中央区大手前4-1-32
大阪歴史博物館 「難波遷都セミナー」係
【応募締切】 6月12日(金)(消印有効)
  参加申し込みをされた方の個人情報は、この事業に関する連絡のみに使用します。また、本人の同意なしに個人情報を第三者に開示・提供することはありません。

『なにわ歴博講座』(「難波遷都」展 連続講座)

特集展示に関連して、難波宮およびアジアの都城や国家形成についての講演会を5回にわたって催します。※講師はいずれも当館学芸員

第1回 6月 5日(金) 寺井誠
「難波遷都 ―外交の窓口が首都になるまで―
第2回 6月12日(金) 李陽浩
「難波宮の「門」を叩く ―建築からみた宮殿の門―
第3回 6月19日(金) 積山洋
「難波宮と東アジア」
第4回 6月26日(金) 村元健一
「難波宮のルーツを探して(2) の五王の使者が訪れた都・建康けんこう
第5回 7月 3日(金) 宮本康治
「東南アジアにおける古代国家のなりたち」
【主催】 大阪歴史博物館
【会場】 大阪歴史博物館 4階 講堂
【時間】 18時30分~19時45分
(18時から受付開始、直接会場へお越しください。)
【定員】 250名(先着順)
【参加費】 200円

『学芸員による展示解説』

第1回 7月11日(土)
第2回 7月25日(土)
第3回 8月22日(土)
【会場】 大阪歴史博物館 8階 特集展示室
【担当】 寺井誠(当館学芸員)
【時間】 いずれも午後2時より30分程度
【参加費】 無料(ただし、入場には常設展示観覧料が必要です)
【参加方法】 当日直接会場へお越し下さい

おもな展示資料

展示資料数:約150点
百済土器瓶
百済土器瓶くだらどきへい

難波宮跡出土、7世紀中頃
水晶製三輪玉
水晶製三輪玉すいしょうせいみわだま

難波宮跡出土、6世紀
「はるくさ」木簡
「はるくさ」木簡もっかん

難波宮跡出土、7世紀中頃
小型鴟尾と小型丸瓦
小型鴟尾しびと小型丸瓦まるがわら

難波宮跡出土、7世紀後半

主な展示資料

百済土器瓶

(1)百済土器瓶くだらどきへい

難波宮跡出土、7世紀中頃

花瓶のような形をした、百済くだらの典型的な土器で、前期難波宮を造営するために谷を埋めた地層から出土した。よく似たものが百済くだらの都である扶餘プヨ(当時の名称は泗沘サビ)やその近くで発見されており、7世紀中頃に位置付けられている。遷都直前に渡来した百済の使者がもたらしたものと推定される。


水晶製三輪玉

(2)水晶製三輪玉すいしょうせいみわだま

難波宮跡出土、7世紀

いずれも前期難波宮の内裏だいり東回廊ひがしかいろうの柱穴から出土した。かつて奈良県桜井市の三輪山みわやま周辺で多く出土したことからこの名称がついた。側面から見ると3つの山形をなす水晶製の装飾品で、太刀の護拳帯ごけんたい太刀たちを握る際にこぶしを守る帯)を飾ったものと思われる。
 これらの三輪玉の出土した場所の近くでは、6世紀代の土器棺どきかん(大型の土器を組み合わせて人を埋葬した棺)が見つかっていることから、宮殿造営によって破壊された古墳の副葬品ふくそうひんであったことが考えられる。まさに、『日本書紀にほんしょき』の「(白雉はくち元年(650年)10月に)宮の地に入れむが為に、丘墓を壊られたるひと及び、遷されたる人には、物賜ふこと、各差あり」という難波遷都に係る記述を思い起こさせる。


「はるくさ」木簡(写真は赤外線写真)

(3)「はるくさ」木簡もっかん(写真は赤外線せきがいせん写真)

難波宮跡出土、7世紀中頃

難波宮南西の谷から発見された。残存長は18cmあり、下側は欠損している。片面に「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(この文字以下、欠損)」と11 字が残っている。これは、漢字1字を1音に当てた、いわゆる万葉仮名まんようがなの一種で、「春草の始めのとし」または「春草の始めしとし」と読む可能性がもっとも高いと考えられる。「春草の」は『万葉集まんようしゅう』では枕詞まくらことばとして使われており、五音・七音を重ねた和歌ではないかと考えられている。発見された地層の時期から、難波遷都の頃に詠まれた和歌の可能性がある。万葉仮名を用いた文字資料としては最古であり、日本語表記や和歌の歴史を知る上できわめて重要な資料である。
 なお、この木簡については資料の保全のため、平成21年6月17日(水)~22日(月)と7月22日(水)~27日(月)の期間限定で展示する予定である。


小型鴟尾と小型丸瓦

(3)小型鴟尾しびと小型丸瓦まるがわら

難波宮跡出土、7世紀後半

いずれも前期難波宮の東方官衙とうほうかんが地域(現大阪市立中央青年センター・パル法円坂など)の発掘調査で発見されたものである。鴟尾しびとは古代の大建築の棟の両端に置かれた、鯱鉾しゃちほこの祖形となる飾りで、通常高さが120cm程度であるものの、この小型鴟尾(写真左)は復元高が17cmほどの小さなものである。表面には羽根形の文様が4段以上削り出されている。小型丸瓦は2点あり、うち右側のものは長さが4cm程度である。いずれも通常の鴟尾や丸瓦の1/7~1/10程度であることから、法隆寺ほうりゅうじ玉虫厨子たまむしのずしのような小建築に用いられたのであろう。前期難波宮と仏教のつながりを示すものとして注目される。