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配布文書からみる選挙の歴史

(H25.7.2更新)

平成25年7月3日(水)~9月23日(月・祝)予定

参議院選挙の投票日が7月21日(日)と決まりました。私たちのくらしを左右する選挙ですが、その歴史となると、案外知られていないことが多いようです。大正14年(1925)の普通選挙法が成立するまで制限選挙であったこと、普選を求める様々な運動があったことなどは学校で習います。しかし、普選法が成立するまで立候補制度がなかったこと、そのためにあらかじめ候補者を決定する「予選」という仕組みがあったこと、土建業者のように議員になれない職業があったことなどはあまり知られていないのではないでしょうか。
 今回は、実際の選挙戦で配布された文書を通して、選挙の歴史を振り返りたいと思います。(飯田直樹)

府会議員候補者田中喜一郎推薦状

明治44年(1911)
本館蔵 熊田早苗氏寄贈

府会議員候補者田中喜一郎推薦状

大阪では、明治20年代から各種選挙において有権者らが事前に話し合って候補者を決定するという「予選」が行われていました。予選は小学校の学区ごとに実施されていました。この推薦状によれば、西野田、上福島、下福島という学区の「有志者」が話し合いをして、田中喜一郎を候補者として決定し、「北区予選会」という団体の公認を得たうえで、有権者である地域有力者たちに推薦状を送付したことがわかります。ちなみに田中はこの選挙で当選しています。

枡谷寅吉(ますたにとらきち)選挙チラシ

昭和3年(1928)
個人蔵

枡谷寅吉(ますたにとらきち)選挙チラシ

選挙につきもののポスターやチラシは、日本初の普通選挙が実施された第16回総選挙(昭和3年)をきっかけに普及したものです。普選実施によって有権者が一挙に約1300万人と激増しました。これに対応する新たな選挙戦術として考え出されたのが、印刷物を大量に設置・配布するという方法だったのです。
枡谷は、九条・築港方面の土建業者で、このチラシの文言にもあるように、「任侠」代議士として名をはせた人物です。政府工事を請け負う土建業者には、普選法成立まで被選挙権がありませんでした。すでに市会議員も経験していた枡谷にとっては、満を持しての立候補だったのでしょう。枡谷は、投票日前日、当日などにも違うデザインのチラシを発行していました。このチラシとほぼ同じデザインのポスターが現在大原社会問題研究所にも所蔵されています。

森野熊一(くまいち)市議選立候補挨拶状

昭和4年(1929)
本館蔵 西澤英和氏寄贈

森野熊一(くまいち)市議選立候補挨拶状

普選による初の大阪市会議員選挙は、昭和4年に実施されました。この挨拶状は、この選挙の時に配布されたものです。この時の市議選は、言論戦の活発化・無産政党の躍進などと特徴づけられています。森野が立候補した東成区は、全市で最も演説会が活発に行われた選挙区でした。22日間の選挙期間中、一候補当たり44回もの演説会を開催したことがわかっています(全市平均約33回)。また東成区では無産政党の一つである社会民衆党の候補者がトップ当選しています。ちなみに森野はかろうじて当選しました(東成区定員10名中第9位)。東成区は多くの朝鮮人が居住していたため、有権者である朝鮮人を意識した文書を配布する候補者がいました。森野も自らの経歴として、朝鮮人融和団体と思われる「内鮮会」の評議員をつとめていたことを挙げています。

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