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80年前に大阪を襲った室戸台風

(H26.9.17更新)

9月16日(水)~10月20日(月)(予定)

昭和9年(1934)9月21日の朝、超大型で猛烈な台風が近畿圏を直撃しました。台風は高知県室戸岬で、当時の世界最低気圧を更新したため(684ミリ、現在の911.9ヘクトパスカル)、室戸台風と名付けられました。大阪では瞬間風速60メートル以上に達したといわれています。

この台風による被害を関西地方大風水害といい、最大の被害を受けたのが大阪府でした。特に大阪市は、市域の約27パーセントが高潮によって浸水しました。工業用に大量の地下水が汲み上げられ、地盤沈下が進行していたことが被害を大きくしました。被害が顕著だったのは、大桟橋が大破した築港(ちっこう)地域、木造校舎の倒壊が目立った小学校、患者・職員177名がなくなったハンセン病療養施設・外島(そとじま)保養院(西淀川区)などです。

この台風のあと、海難防止を目的として開発された暴風警報が、台風などの襲来時に発表すべきものとして改正されました。また、大阪市内の小学校では鉄筋コンクリート造校舎の建築が進むようになります。後世に教訓を残すため各地で記念碑も建てられました。大阪城公園内に今も残る教育塔はその代表的なものです。このコーナーでも、当時の絵葉書で紹介された報道写真を通して、80年前の台風被害を振り返ります。

(飯田直樹)

高潮に襲われた境川地域

昭和9年(1934) 個人蔵

高潮に襲われた境川地域
現在のみなと通(国道172号線)の被害状況を写したものです。写真奧に写っている大きな建物は旧大阪市交通局(当時電気局)庁舎です。境川地区を含む当時の港区は、高潮によって全域が浸水し、罹災死傷者数・罹災家屋数とも市内最多という大きな被害を受けました。境川付近は最高で床上約60~90センチ浸水しました。電気局庁舎には道路舗装のためにしかれていた木煉瓦が流れ込んできました。

船津橋(ふなつばし)に押し寄せられた船

昭和9年(1934) 個人蔵

船津橋(ふなつばし)に押し寄せられた船
船津橋は中之島の西端で堂島川にかかる橋です。安治川に停泊していた帆船やはしけ船などが高潮によってここまで押し流されています。当時の大阪市内には、はしけ船に居住する、いわゆる水上生活者が一万人以上いました。高潮は一瞬にして彼らの生活基盤を奪いました。大阪府の調査によれば、水上生活者の死者・行方不明者は105名、負傷者は159名にものぼりました。

横転した大軌(だいき)電車

昭和9年(1934) 個人蔵

横転した大軌(だいき)電車
室戸台風は鉄道にも大きな被害をもたらしました。写っているのは、布施-小阪間(東大阪市)で横転した大阪電気軌道(略称大軌、現近畿日本鉄道)の大阪行き準急電車デボ1形車両です。この事故により20名の負傷者がでました。大阪(鶴橋)-奈良間の全線開通は9月27日までかかりました。

天王寺第一小学校校庭での授業

昭和9年(1934) 個人蔵

天王寺第一小学校校庭での授業
大阪市内の小学校では、全244校の約7割で、暴風により校舎が全壊するなどの被害があり、児童・職員合わせて278名がなくなりました。天王寺第一小学校(現天王寺小学校)でも大正8年(1919)竣工の木造校舎が全壊しましたが、校長の指示で鉄筋コンクリート(RC)造の講堂に児童が避難したため、一人の犠牲者も出しませんでした。大阪市ではこの台風被害を受けて校舎のRC化が進められていくことになります。
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