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西野田の地主池永恒太郎(つねたろう)と選挙

(H26.12.3更新)

12月3日(水)~平成27年 1月5日(月)(予定)

現在、当館では、西野田聯合(れんごう)の区会議員や方面委員(現在の民生委員)などをつとめた西野田地域の地主池永恒太郎(1878年生まれ)の家に残された資料を整理しています。この池永家文書のなかには、貴重な選挙関係の資料が残されていることがわかりました。有力者であった恒太郎には、選挙になると候補者からたくさんの推薦状や名刺が送られてきました。彼の家ではこれらの推薦状や名刺を捨てずに、家賃の入金や家計の支出を記録するメモとして再利用していたのです。

総選挙にあわせて、池永家文書のなかから代表的な選挙関係資料を選んでご紹介します。

(飯田直樹)

市会議員候補者長谷川清治の推薦状

市会議員候補者長谷川清治の推薦状

大正14年(1925) 個人蔵

大正14年6月3日に行われた大阪市会議員選挙の時に配られたものです。この選挙は納税額によって1級と2級とに有権者が分かれ、それぞれが定員の半数の議員を選ぶという制限選挙でした。長谷川は1級の候補者でした。この推薦状を出した「此花区各聯合有志」の「聯合」とは小学校学区のことで、「有志」とは選挙権のある各学区の有力者のことです。長谷川陣営は、これ以外にも違う種類の推薦状と名刺を配布していました。
市会議員候補者山中吉兵衛の名刺

市会議員候補者山中吉兵衛の名刺

大正14年(1925) 個人蔵

これも大正14年市議選の時のものです。山中は西淀川区の1級候補者でしたが、この名刺は西淀川区に選挙権がない此花区(当時)の池永家に複数枚まとまって残されていました。池永家は此花区だけでなく、西淀川区などにも土地を所有していました。池永家の地域での影響力をうかがわせる史料の一つです。
府会議員候補者藤井音松の推薦状

府会議員候補者藤井音松の推薦状

大正12年(1923) 個人蔵

大正12年9月25日に行われた大阪府会議員選挙時に配られたものと考えられます。「済美(せいび)聯合後援団」とは、学区である済美聯合の有力者たちによって組織された藤井の後援会のことでしょう。藤井の地盤が済美学区にあったことを示すものです。「清キ一票」という言葉がすでにこの頃から使われているのも興味深いです。藤井の名刺も残っています。
西野田衛生組合評議員候補者推薦状

西野田衛生組合評議員候補者推薦状

昭和初年 個人蔵

衛生組合とは、伝染病予防活動や下水道掃除など衛生行政を地域の末端で担う住民組織です。大阪では小学校の学区単位に組織されていました。その役員選挙の時のものです。西野田組合の場合は、連記制の投票だったことがわかります。推薦状を出しているのは玉川町二丁目有志で、候補者の田中と小田はそれぞれ二丁目の町内会である玉川会と中江会の会長でした。玉川町二丁目の有力者達が相談して、それぞれの町内会の会長を候補者として推薦したのでしょう。両名の当選礼状も残っています。
アカズリの名刺

アカズリの名刺

昭和初年 個人蔵

どういった選挙の時のものなのか、詳細は不明ですが、欠員をうめるための補欠選挙が行われたときの候補者の名刺です。この補欠選挙の投票用紙はアカズリ(赤刷り)であったため、この名刺も赤色で印刷するという工夫がなされています。野中利三郎は玉川町三丁目に住む地主で、町内会である城之内会の会長でした。
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