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大阪の工業化を支えた町工場~滝野盛進堂~

(H27.9.16更新)

平成27年9月16日(水)~10月19日(月) (予定)

大阪は、第一次世界大戦をきっかけに急速に工業化が進みます。「煙の都」「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、日本を代表する大工業都市となりました。昭和初期には市内に約3万の工場があったといわれていますが、その約8割が職工5人未満の小工場でした。焼印や刻印を製造をしていた滝野盛進堂は、長堀通に面した中央区安堂寺町1丁目にありました。もともとは日本橋北詰にあった三浦盛廣堂(明治28年創業、職工5人)の支店でしたが、昭和元年(1926)に独立しました。今回の展示では、大阪の工業化を支えていた町工場の事例として滝野盛進堂をとりあげ、その関係資料を展示します。

(飯田直樹)

焼印押止簿

焼印押止簿(やきいんおしとめぼ)
昭和2年(1927)頃 本館蔵 瀧野秀夫氏寄贈

焼印とは、火で熱して煎餅(せんべい)などに押す金属製の焼きごてのことです。この押止簿の各ページには、滝野盛進堂(昭和元年創業)が製造した焼印が押されています。盛進堂は、創業間もない頃、サイレント映画のスターたちの似顔絵をデザインしたキネマ煎餅の焼印を製造していたことがわかります。左のページには、チャップリンの焼印、そしてその右上には、「ダーグラス」(ダグラス・フェアバンクス)の焼印が押されています。このダグラスは、チャップリンがその自伝で「ダグこそは、わが生涯でただ一人の親友だった」と記した人物でした。この焼印を押した人物は、二人の間柄を知っていたのかもしれません。

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