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100周年記念 大阪の米騒動と方面委員の誕生
(H30.7.4更新)
資料展示

大阪米騒動図

大正7年(1918) 大阪市史編纂所蔵

大阪米騒動図

米騒動時にあんりゅう町(現住之江区)で実施された米の廉売れんばいの様子を描いた作品です。廉売会場となったのは町立安立尋常高等小学校。右上にはこの事業に金品を寄付した人々の名前と寄付額などが記されています。大阪市内でも大阪府と大阪市による廉売事業が小学校の学区単位で行われました。協力した学区内の有力者の多くが後に方面委員に任命されています。市内での廉売資金も富豪からの寄付によって集められましたが、事業後に残った資金は方面委員制度の運営費に充てられることになります。


むらしまよりゆき「給与部もある細民さいみん学校」

出典:『大阪の社会事業』117号、昭和35年(1960)4月30日付け 村嶋智惠子氏蔵

村嶋歸之「給与部もある細民学校」

この記事には「米騒動前の大阪では巡査が今の民生委員の仕事を行っていた」との記述があります。警察が今宮地区に設けた徳風小学校という「細民学校」には、現職の巡査が給与部職員として勤務し、児童の家庭を訪問し暮らしぶりを調べ、欠食・休学児童のために面倒を見ていたというのです。米騒動前から警察が社会秩序安定のために対策を講じていたことがわかります。しかし大阪で米騒動が最初に発生した場所の一つがこの今宮地区でした。本展では、騒動後にこの地区に対し警察が行った新たな対策についてもふれる予定です。この記事を書いた村嶋歸之(1891-1965)は、戦前に大阪毎日新聞の記者として貧困社会の実態を記録したルポを発表するなど下層社会の「案内人」として知られた人物です。


方面委員の設置に就て

大正7年(1918) 桃山学院史料室蔵

方面委員の設置に就て

方面委員制度が創設されると、方面(委員が設置された区域)では、市民に周知するためにこのような印刷物が作成され、掲示・配布されました。「隣保相輔」に「きんじょどうしたすけあふ(う)」というルビがふられるなど、理解しやすいよう工夫されています。この印刷物を作成した天王寺第三方面の区域には、大阪で最初に米騒動が発生した8月11日に騒動があったしたでらまち(現浪速区)が含まれていました。印刷物後半には方面委員の名前が載っています。そのうちの一人、とみしょうきち(1878-1943)は、この地域で貧困世帯向けに幼稚園や小学校を経営していた石井記念あいぜんえん(現社会福祉法人石井記念愛染園)の主事であった人物です。


中津町方面委員騒擾そうじょうニ関スル件(中津警察署長より大阪府警察部長宛)

大正11年(1922)9月16日 大阪府公文書館蔵

中津町方面委員騒擾(そうじょう)ニ関スル件

平成19年(2007)、大阪府庁舎内で「方面委員一件」(もしくは「方面委員一件書類」)と題する公文書の綴りが発見されました。調べてみると、創設期方面委員の知られざる実態が具体的に記されていることが判明しました。この資料はそのうちの一つです。画家佐伯祐三(1898-1928)の兄で中津町(現北区)の方面委員になったばかりの佐伯さえきゆうしょう (1896-1945)が、方面委員が集まる委員会で起こしたある行動が記されています。祐正が、大阪府職員の席を一段高所に設定するという席順を「官僚的」として批判したというのです。この行動により祐正は中津町方面の常務委員(代表者)に推薦されていたにもかかわらず、結局なれませんでした。このように「方面委員一件(書類)」に綴られた公文書には、個々の委員の行動やその背景となる思想が具体的に記されている場合があります。本展では、「方面委員一件(書類)」全15冊を紹介する予定です。また、佐伯祐三の作品で長年祐三の母校である大阪府立北野高等学校が所有していた「ノートルダム(マント=ラ=ジョリ)」(大正14年、大阪新美術館建設準備室蔵)を兄祐正の関係資料とともに展示する予定です。


留岡幸助『復命書』

明治35年(1902) 日本社会事業大学附属図書館蔵

留岡幸助『復命書』第一

明治35年3月、内務省嘱託であった留岡幸助(1864-1934)は公務で関西の慈善事業施設を視察し、復命書(出張報告書)を作成しました。この時期の慈善事業施設に関する資料が極めて少ないなか、貴重な情報を私たちに教えてくれます。たとえば、大阪で孤児や浮浪者を収容し、職業を授けるという事業をしていた小林授産場(明治18年創設)については、留岡は、収容者が極めて「乱暴」に処遇され、単に「暴力」で「圧抑」されていると報告し、そのような授産場の状況を「人権問題」として把握しています。明治期にはこのように「慈善」とは名ばかりの施設があったのです。小林授産場は、大正元年(1912)に財団法人弘済会(現大阪市立弘済院)が設立されると、弘済会に買収され、収容者も弘済会に引き継がれました。なお、この留岡の復命書には、本展でとりあげる博愛社(現社会福祉法人博愛社)や大阪汎愛はんあい扶植ふしょく会についての記述もあります。全文については、所蔵している日本社会事業大学附属図書館のホームページで公開されています。

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